「お蔭様で、起きたよ・・・・」

 吐息だけで囁いて、薄く染まる耳朶に唇を寄せる。

「っ・・・・・じゃぁ、顔洗って来いよ」

 寝起き早々に特別を孕む声で囁かれて、アルトはミハエルの腕に爪を立てた。そして、ミハエルの力が緩んだ隙に、擦り抜ける。振り返れば、唇を歪めるミハエルの顔。からかわれているだけだと分かっていても、どうしても顔が暑くなる。アルトは恥ずかしさを隠すように、黒髪を翻して台所へ戻る。

「餅、何個食うんだよ?」

 洗面所へと向かうミハエルを見ないようにしながら、アルトはぶっきらぼうに言う。決してこちらを見ようとしないアルトに、ミハエルは小さく唸った。何しろ、モチなど食べたこともなければ、見たこともないのだ。一体どんな代物か、と思いつつ、説明を求められる雰囲気ではない。ミハエルは、ふと表情を緩めた。百聞は一見に如かず、と言うではないか。

「姫は何個食べるの?」

 蛇口を捻りながら声を掛ける。姫じゃねぇ、といういつもの言葉に続いて、アルトの小さく悩む声が聞こえる。

「とりあえず、二個・・・・」

「じゃぁ、俺も」

 了解、というアルトの返事を聞いて、ミハエルは薄く残る眠気の残滓を冷たい水で洗い流した。

 

 身支度を整えて居間に戻ると、先程までミハエルが寝ていた布団は片付けられ、決して大きくないちゃぶ台の上に、三段重ねの重箱と蓋の付いた朱塗りの椀、そして箸袋に『ミハエル』とやたら達筆で書かれた祝い箸と取り皿が配膳されていた。

「何ぼんやりしてるんだ?座れよ」

 手に重箱と揃いの漆塗りの盃と屠蘇器を持ったアルトに促され、ミハエルは腰を降ろした。目の前に広がる光景に、言葉もない。自分は物凄く短絡的におせちを食べてみたい、と思っただけだったのだが、これはかなりの本格仕様だ。アルトの手間を思うと、なんと労うべきなのだろうか。

「凄いな。想像以上だ・・・・・」

 月並みな言葉しか出てこない。だが、アルトは照れ笑いを浮かべながら、それでもどこか嬉しさを孕んだ笑顔で答える。

「作るの、すげぇ久しぶりだったから、味は期待しないでくれ」

 ほんのりと頬を染めるアルトに、ミハエルは思わず視線をズラした。今年も、このお姫様にドキドキさせられるのだと思うと、何とも言えない気分になる。女性たちの官能的な手練手管にさえ余裕を見せていた自分が、アルト相手だと微笑みだけで振り回されてしまうのだ。惚れた弱みというヤツだろう。

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