遠くの方で、鍋がコトコトと音を立てている。ミハエルは、ゴロリと寝返りを打った。

 あれから、ゆっくりと湯船で疲れを癒し、風呂上りのコーヒー牛乳を堪能して、アルトとミハエルは銭湯を後にした。湯冷めをしないように、と足早にアルトのアパートを目指し、辿り着くや否や一組しかない布団に転がったのだ。ロードワークをするよりも、実際バルキリーに乗って宇宙を飛び回る任務の方が、遥かに遣り甲斐も楽しみもある。それでも、哨戒任務ともなれば、ミハエルだって緊張する。熱い湯に流れ出たのは、疲れだけではなかったらしい。張り詰めていた気が緩み、ミハエルはアルトにちょっかいかけるよりも早く、その愛しい人の体を抱き締めて夢の世界に引きずり込まれたのだった。

「・・・・・・んっ・・・・・」

 パタパタと誰かが部屋の中を行き来する音に、ミハエルは眉根を寄せた。思いの外、疲れていたらしい。体は休息を欲し、再びミハエルを眠りの世界に引き込もうとしている。だが、部屋を満たす暖かく美味しそうな匂いに、空腹が訴える。ミハエルは寝返りを打ちながら、本能同士の熾烈な戦いを見守る決意をした。その時だ、

「ミシェル。準備できたから、そろそろ起きろよ」

 トントン、と肩を叩かれる。耳に馴染んだアルトの声に、ミハエルはようやく気付いた。腕にあった心地よい重みが消えている。

「・・・・・アルト・・・・・?」

「おせちの準備が出来たぞ」

 ぼんやりと寝ぼけ眼で自分を見詰めるエメラルドグリーンの瞳に、アルトはにっこりと笑い掛ける。ゴシゴシと目を擦って、寝癖の付いた髪を掻き上げる。こんなミハエルは、滅多にない。格好をつけない、ありのままのミハエルの姿にアルトは眦を下げた。

「おせち・・・・・・」

 ぐぅ、とミハエルの腹の虫が情けない鳴き声で答える。アルトは小さく笑みを漏らすと、ホラホラ、とミハエルを追い立てた。

「おせち食べたら、初詣に行くんだから。ほら、ちゃっちゃと起きる」

 まるでいつもの逆だ、と思い至って、アルトはふと考える。いつも寝起きの悪い自分に、ミハエルは何をしていただろうか。そうだ、とアルトは頬を染めた。新年早々、自分は何をしようとしているのか。でも、とアルトは必死に言い訳を考える。せめて世間が明るい内に、初詣に行っておきたいのだ。時計の針は、そろそろ頂点に辿り着こうとしている。だから、と前掛けをギュッと握り締めると、まだ夢現のミハエルの頬に唇を寄せた。

 チュッと響いた甘い音に、ミハエルは目を見開いた。

「姫?」

「目ぇ、覚めたか・・・・・・?」

 姫じゃない、といつものように返しながら、アルトはミハエルの追求から逃れるように、そそくさと立ち上がる。その後ろ姿に、ミハエルは小さく息を吐き出した。目が覚める所の騒ぎではない。唇でなかったのは残念だが、それでもアルトが自分から口付けをするなど、滅多にあることではない。幸先の良過ぎるスタートに、ミハエルは呆然としながらも立ち上がった。そして、台所へ戻ろうとしているアルトを、背中から抱き締める。

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