「ミシェル〜。先行くぞ」

「もう終わるよ」

 二人は適当な籠に脱いだ服を放り込むと、湯煙に曇るガラス戸を開けた。落ちる雫の音が響くほど、風呂場には誰も居なかった。ミハエルの心配など、ただの杞憂だったと嘲うかのようだ。

「へぇ・・・・・・・」

 銭湯とは、いつかの温泉と同じだと思っていたが、随分と印象の違う物だった。湯船に至るまで連なるたくさんの蛇口。壁に描かれた、台形状の形の美しい山と打ち寄せる海。そのまま湯船に入ろうとするミハエルを、アルトの鋭い声が阻んだ。

「ミシェル、ストップ!湯船に入る前に、まず体を洗うんだ!銭湯のマナーだ」

 なるほど、とミハエルは湯船の前から退いた。そして、アルトの隣の蛇口の前に腰を降ろす。アルトに倣って商品名宣伝の入った黄色い洗面器にお湯を張りながら、ふと横へ視線を向けた。

 白い背中に流した、艶やかな長い髪。冷たいタイルに膝を付き、たおやかに首を傾げて、その滑らかな肩に湯を掛ける。ざぁ、と音を立ててアルトの肌の上を、湯が伝う。濡れて色を増した肌に張り付く、黒髪。その艶かしさに、知らず喉が上下する。

「・・・・・・・・なぁ、アルト・・・・・・」

「ん〜?」

 ミハエルがどんな表情を浮かべているかも知らず、アルトはモコモコに泡立てたシャンプーで、長く美しい黒髪を洗うのに忙しい。そんな無頓着なアルトに、ミハエルは絶望すら抱きながら口を開いた。

「いつも、そんな風なのか?」

 そんな無防備に色香を振り撒いているのだろうか。

「あぁ、そうだな。いつも髪から洗うなぁ・・・・・・」

 そのチグハグな会話にすら、ミハエルはいつも通りの反応ができなかった。元々警戒心の薄いアルトだが、入浴というリラックスタイムはより一層希薄になっている。しかも、入浴中のアルトの色気は、通常の三倍増し。長い睫を伏せながら、アルトは長い髪を掬い上げるようにして、掻き上げる。白い項が露になり、泡を纏った後れ毛が艶かしい。ふんわりとした泡が、アルトの背中から腰に掛けてのラインを滑り落ちていく。再び、ミハエルは喉を鳴らした。ここが公の場であることを思い出して、ミハエルは必死に己を制する。こんな風になるのは、決して自分だけではない筈だ。ミハエルは顔と一緒に、沸き上がる劣情を洗い流して、相変わらず鼻歌交じりのアルトを盗み見た。この無防備な姿を、今までずっと晒してきたと言うのである。ミハエルの口から、重たい息が落ちる。つまり、とミハエルは水滴の滲む天井を仰いだ。今年も、気苦労が耐えそうにない。

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