宿舎を出ると、外は正月特有の静けさと雰囲気に包まれていた。冷たい空気と澄んだ青い空は、一年の始まりらしくどこまでも清らかだ。

 電車に乗って、アルトのアパートのある千束へ向かう。余程朝風呂が楽しみなのか、アルトの表情は緩みっ放しだった。その、花が綻ぶような笑顔は反則である。そんな輝くような笑顔で見詰められて、早まらなかった自分を誉めて上げたい。それに、とミハエルは喜び勇んで先を歩くアルトの背中を見詰めて、息を吐き出した。電車が空いていて良かった、と心密かにミハエルはホッと胸を撫で下ろす。あんな無邪気な笑顔を振りまいて、陥落しない男はいないだろう。男の性を理解しない姫は、今年も相変わらずらしい。

 駅から随分歩いて角を曲がると、そこにひっそりと純和風の建物があった。風に翻る暖簾と大きな煙突に、そこがアルトの通い詰めている銭湯であることが分かる。

「中々趣のある銭湯だな」

 最早、資料レベルだ。ミハエルの驚きを含んだ声に、アルトは我がことのように胸を張る。

「地球にあった時と同じように建てたって話らしいぜ」

 さぁ行こう、とミハエルの手を引いて、アルトは暖簾を潜った。味のある下駄箱に靴を入れて、木でできた鍵を取る。ガラリと磨りガラスの扉を開くと、少し湿気を孕んだ熱気がミハエルの前髪を撫でた。

「いらっしゃい」

 番台に座るオヤジが、威勢の良い声を掛けてくれる。アルトは、それに丁寧に頭を下げる。

「あけましておめでとうございます」

 慌てて、ミハエルもアルトに倣って腰を折る。

「おめでとう。今年もよろしくご贔屓に」

 柔和な笑顔を閃かせるオヤジに、アルトも笑顔で応える。そして、携帯を取り出すと支払い用の端末に翳す。

「大人二人で」

「アルト、俺の分は自分で払うよ」

 着いて行く、と言ったのは自分だ。だが、アルトは慌てて携帯を取り出そうとするミハエルの手を、そっと押さえる。

「ミシェルには、後でコーヒー牛乳を買ってもらうから」

 朝風呂とは、そんなにアルトのテンションを上げるものなのだろうか。長い尻尾を弾ませて「男湯」と書かれた青い暖簾を潜るアルトの背中を追いかけながら、ミハエルは自分の判断の正しさを実感していた。このいつも以上にキラキラした笑顔で、不特定多数の視線を集めるかと思うと、憤死してしまいそうだ。

「お!一番風呂か」

 アルトの声が一層弾む。脱衣所は、思いの外ガランとしていた。それでも、いつもは照明の明かりだけで照らされている脱衣所だが、こうして外からの光が差し込んでいる光景は、何とも新鮮だった。しかも、とアルトは頬を緩ませる。銭湯の一番風呂など、滅多にあやかれるものではない。それも、年明け早々など。今年は良い年になりそうだ、とアルトは鼻歌交じりにいそいそと服を脱ぐのだった。

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