すいません、と小さく頭を下げると、ボビーのクスリという笑い声が落ちる。

「どうせアルトちゃんのことだから、散々ごねて最後になることぐらい予想済みよ」

 ごねる、とは心外である。今日は単純に、ハロウィンパーティーのことを忘却の彼方に葬って、惰眠を貪っていただけなのだ。

「ボビー大尉の準備は良いんですか?」

「アタシ?アタシは簡単だもの」

 ほら、とボビーの指差す方を見ると、黒いワンピースとトンガリ帽が用意されている。どうやら、可愛い魔女に仮装する予定らしい。

「さぁ、ちゃっちゃとメイクして行きましょうね」

 ニッコリと音がするくらい笑顔を弾けさせて、ボビーは魔法を閃かせた。

 そう、ボビーのメイクは魔法だ。自らも化粧をするアルトだから、彼の妙技がどれ程の物か理解できた。特筆すべきは、まずその手際の良さだ。アシスタントがいるわけでもないのに、アレだけの人数を捌いたのだ。今も、テキパキとアルトの肌を整え、ベースメイクを施す。肌を内側から輝かせるボビーの手法は、たくさんの女優や歌手を喜ばせたという。肌にハリとツヤを蘇らせ、ファンデーションはどこまでも軽い。化粧によって肌がストレスを感じるのではなく、保護されているような感覚。なるほど、伝説と言われる筈である。

 アイメイクを施し、チークを叩く。最後に、少し紫がかった深紅のルージュを塗って、ようやくボビーは息を吐いた。

「素敵よ〜」

 ほら、と鏡を渡されて、アルトは言葉を詰まらせた。少し長く引いたアイラインと口紅の色と相俟って、鏡に映る自分は巫女という存在と大きく乖離しているように見える。だが、鏡越しのボビーは至って上機嫌だ。まるで、このメイクが正解だと歌うよう。呆然としているアルトを他所に、ボビーは艶やかな黒髪を梳り、箱から髪飾りを取り出した。あれが、ミハエルの言っていた小物だろうか。鏡に映ったその髪飾りは、二つ。まるで、羊の角のように丸まっている。

「羊?」

 巫女装束に羊の角というミスマッチ。アルトが知らないだけで、そんな妖怪がいると言うのか。不思議そうに鏡を覗き込んでいるアルトに、ボビーは目尻を下げた。そして、滑らかな漆黒の髪に角を飾る。パチン、とバレッタで固定すると、ボビーは左側の角の付け根にだけ、椿の花を差した。

「鬼っ子よ〜」

 黒地に大振りの蝶の模様があしらわれた襟巻きを首に巻くと、ボビーはアルトに立つように声を掛ける。鬼ねぇ、とアルトは口の中で呟きながら指示に従った。そして、ふと視線を落とす。首に巻いて尚、地面に付いてしまいそうに長い襟巻き。この襟巻きは、唯一アルトが男性であることを強調できる喉仏を、隠す為の物なのだろうか。つまり、とアルトは項垂れる。分かってはいたが、改めて女装を強いられているのだと思うと、胸の奥が軋む。どれ程捨てたと思っていても、過去は簡単にその尻尾を表し、アルトを苦しめる。いかに硝煙の匂いに包まれようが、指の先にまで染み付いた習慣は、上書きされることなくアルトの内に根付いている。今でも、こうして着物を纏えば、それに相応しい立ち振る舞いをしてしまう。雪ぐことのできない過去に、アルトは口紅が落ちないように唇を噛んだ。その時、ボビーが嬉しそうな声を上げて、ポンとアルトの腰を叩いた。

TOP   BACK   NEXT