「今行く」

 短く答えてタオルに手を伸ばし、もう一度鏡で確認する。大丈夫、冷たい風に晒されて感覚をなくしていた頬が、少し強張るような気がしないでもないが、赤みは完全に引いている。アルトは濡れた顔をタオルで拭うと、洗面所を後にした。

 ダイニングに入って、そのテーブルの上がスッキリしている現実に、アルトは首を捻った。ミハエルは、準備ができた、と言っていなかっただろうか。その時だ、ミハエルの声が背中を叩く。

「リビングに用意したよ」

 たまにはいいだろう?とミハエルは笑う。その、何かを隠したような笑顔に、先程から何か誤魔化されているような気がするのはアルトだけだろうか。不審そうにミハエルを見上げても、浮べた微笑にスルーされてしまう。

「お入りください、お姫様」

「だから、姫じゃねぇって!」

 かしこまってリビングの扉が開かれる。その光景に、アルトは目を見張った。それは、想像以上の世界だった。明かりを落としたリビングの壁には、キャンドルの儚い光が薄い影を作っており、ソファの前に据えられたローテーブルには、完璧なテーブルセッティングが成されている。ワインクーラーの中には、シャンパンボトルが水滴をつけて冷やされていた。

 アルトは思わずミハエルを仰ぎ見た。

「もしかして、準備してたのか?」

 シャンパンが冷えていると言ったのは、即ち、冷やしていると同じ。それに、こんな隙のないセッティングを、アルトが洗面所にいる間の短時間でできるわけがない。あぁ、とアルトは思い出した。今朝起きると、ミハエルの方が先に起きていた。つまり、このサプライズを用意していたと言うのか。

「さぁな」

 しっとりと潤んだ瞳で見上げてくるアルトに、ミハエルは照れくさそうに顔を背けた。

「ほら、とっとと飲もうぜ?」

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