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一番やらかい場所
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| 「ミシェル先輩って、早乙女有人が絡むと途端に残念になりますよね」
ワイワイガヤガヤと、生徒たちの喧騒で溢れかえる昼休み。見るからに上機嫌で携帯電話を操作するミハエルに、ルカは半ば呆れたように呟いた。ミハエルは決済ボタンをクリックし終えると、顔を上げる。 「残念?どういうことだ?」 心の底から、言葉の意味が分からない、とミハエルは首を傾げて見せる。ルカはスッと、ミハエルの手の中の携帯電話を指差した。 「今決済したのは、早乙女有人の写真集の電子版ですよね?」 ルカの問いに、ミハエルは素直に頷いた。コーヒーで唇を濡らしたルカは、言葉を続ける。 「ミシェル先輩、確か書籍版も購入していたと記憶しているのですが・・・・」 気のせいですかね?と口にしつつ、ルカの声は確信に満ちている。ミハエルも否定せず、大きく頷く。 「あぁ。観賞用と保管用と自炊用の三冊を購入したな」 どうしよう想像以上だ、とルカは思わず呻いた。学生アルバイターにしては、不相応とも言えるバイト料を貰っているルカとミハエル。それを何にどれ程つぎ込もうと、誰に文句を言われる筋合いもない。だがしかし、とルカは息を落とす。基本的には世間一般と何ら変わらぬ金銭感覚の持ち主であるミハエルだが、こと早乙女有人が絡むと金に糸目を付けなくなるのだ。 「電子版の発売は、書籍版より遅れるからな。そのタイムラグを埋めるには、自炊するしかないだろう」 さも当然とばかりに言ってのける先輩の姿に、ルカは力なく笑うしかなかった。その入れ込み具合は、正真正銘の早乙女有人オタクである。しかも、これで無自覚と言うのだから恐ろしい。 「そんな一週間程度の差なら、学園内で本人探して眺めていればあっという間では?」 そう、ミハエルが崇めてやまない早乙女有人は、同じこの美星学園に通う同級生なのだ。専攻課程こそ違うが、写真でない動く早乙女有人を見る機会はある筈。だが、ルカの指摘にミハエルは首を振る。 「こっちは航宙科で向こうは演劇科。校舎も違うし、偶然姿を見掛けるなんて一ヶ月に一度あれば良い方だろう」 そんな大穴狙いの確率に賭けるくらいなら、堅実に手に入れられる方を取る。だからこそ、ミハエルは未だこの世に生きていられるのだ。そう嘯けば、ルカは複雑な表情を浮かべる。 「・・・写真よりも本人の方が良いと思わないんですか?」 眼鏡のブリッジを押し上げ、ミハエルは言葉を続ける。 「人は神に会えないから、宗教画を描いたんだ」 つまり、とルカは呻いた。写真集は神の姿を映した絵画。そして、それを肌身離さず持つという信仰心。早乙女有人に会えるかもしれない、という奇跡を望むより、手の届く範囲の幸せを享受する、と言うのだ。あぁ、とルカは眉間を揉んだ。 「・・・何か、想像以上でした・・・・」 残念という言葉で括って、終わらせて良いような程度ではなかった。そう、とルカは眉間に小さく皺を寄せる。タイミングよく鳴り響く始業の鐘の音に、自席に戻るミハエルの背中を見詰めたまま、思わず零れる。 「・・・・ミシェル先輩って、そんなに執着するタイプでしたっけ?」
SMS宿舎の男性用ロッカールームのベンチに、ひっくり返るアルト。爆睡し続けるのを良いことに、嬉々として化粧を施す伝説のメークアップアーティストを止めることもできず、ミハエルはただ茫然としていた。 廊下ですれ違うことすら稀だった筈なのに、クラスメイトになったかと思ったら遂にはルームメイトになる始末。これは、どんな奇跡なのか。果たして、単純に神に祈って良いものだろうか。 「あ〜ん、やっぱり素材が良いから映えるわね〜」 嬉しそうにシナを作るボビーの声に、ミハエルは我に返った。そして、ボビー渾身のメイクを施されたルームメイトを見下ろす。それは、嘗て劇場に通って見つめ続けた顔とは違う。それでも、伏せられた長い睫毛が影を落とすサラリとした白い肌、艶やかに色づけられた薄く開いた唇。なるほど、とミハエルは眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。ボビーのメイクは、メイクされた本人の美しさを引き出す物なのだ。そのせいだろうか、アルト元来の美がロッカールームいっぱいに匂い立つよう。 「そろそろ、姫を回収しても良いですか?」 ミハエルは、メイクを施されたアルトを一目見よう、と集まってくる先輩たちの視線を遮るように、そっと立ち位置を変えた。そんなミハエルに、ボビーは一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの笑顔を閃かせる。 「えぇ、お陰で気が済んだわ。ミシェルちゃんも毎日ご苦労様」 ミハエルはアルトの背中と膝の裏に腕を入れると、そのまま予備動作なく抱き上げた。アルトが入隊した当初こそ、お姫様抱っこだ、と沸き立ったものだが、それから毎日繰り返されれば、最早SMSの日常へと成り下がる。それでも、とボビーは頬を緩めた。メイクを施され、その美少女然とした美貌を遺憾なく発揮したアルトと、おとぎの国の王子様を彷彿とさせる美丈夫であるミハエルのツーショット。絵になる、と呟くのはボビーばかりではない。そんな諸先輩方を牽制するように一瞥して、ミハエルは口を開く。 「ルームメイトですから」 それ以外の他意はない。そう、お姫様抱っこだ、と騒がれたりもしたが、これは意識を失くした人間を一人で抱えるのに一番適しているからであり、深い意味などないのだ。 「そうね、ルームメイトですものね」 「そう言えば、姫の顔ってこのままで良いんですかね?」 「メイクした何日か後に、姫の肌が荒れていたようなので・・・」 よく見てたわねぇ、と零れ落ちそうになる言葉を、ボビーは慌てて飲み込んだ。これは、口にしてはならない。ボビーはメイクボックスを漁り、目当ての物を探し出すと立ち上がった。 「メイク落としシートよ」 ウェットティッシュのようなパッケージを、アルトの腹の上に置いてボビーは笑う。 「これなら、寝ぼけたアルトちゃんでも使えるでしょ」 本当なら、ボビーオススメのクレンジングオイルを渡したい所だが、このすぐ傍で反応弾が炸裂しても起きない、と称される眠り姫に、洗面所に向かう気力を期待する方が無駄。今日の所は、簡単に済ませられるシートタイプで落としてもらい、後日ディープクレンジングを施すことでアルトの瑞々しいお肌のキープに貢献しよう。そう強く拳を握るボビーに、ミハエルは肩を竦めた。 「・・・起きてくれることを祈っていてください」 では失礼します、とミハエルはボビーや諸先輩方に頭を下げて、ぐったりと眠り続けるアルトを抱えてロッカールームを後にした。
「姫・・・ひ〜め」 声を掛け、肩を揺さぶってもアルトの口からは寝息が漏れるばかり。マスカラを纏い、いつもより長く見える睫毛は時折震えるが、その瞼が開く気配はない。艶やかにルージュに濡れた唇から目線を外して、ミハエルは大きく息を吐き出した。そして、バリバリと頭を掻いた。 「・・・・起きる訳ないんだよなぁ・・・・」 何しろ、ベッドに放り込む衝撃ですら眉根を動かさないのだ。はぁ、と溜息を零しながら、ミハエルはベッドの縁に腰掛ける。 ボビーは、寝ぼけたアルトでも使える、と言っていたが、十中八九ミハエルが手を貸すことを想定していた筈だ。そう、アルトの爆睡っぷりを一番良く知っているのは、メイクをしていたボ 「ったく・・・世話の掛かる・・・」 ミハエルは小さく呟くと体を捩るようにしながら、アルトの額に掛かる前髪を指先で払った。形の良い額が剥き出しになると、その寝顔が一層幼く見える。そのまま、ミハエルはメイク落としシートをアルトの額に押し当てた。 「んっ・・・・」 濡れたシートが冷たかったのか、眉根を寄せて小さく呻く。その声に、ミハエルは思わず手を止めた。 「姫?」 起きるのだろうか?と一縷の望みを胸に、声を掛けてみる。 「・・・・・」 だが、当然の如くアルトが瞼を開くことはもちろん、起き上がる気配もない。 「あぁ、そうだよな。これくらいの刺激で起きる訳ないんだよな」 知ってたよ、と吐き出して、ミハエルは再び手を動かし始めた。額を拭い、頬にシートを滑らせる。天まで届け、と塗られたマスカラを始めとしたアイメイクを落とすと、ミハエルの口から知らず溜息が漏れる。 「っ・・・メイク、落とすだけだから・・・・」 ミハエルは自らに言い聞かせるように呟くと、メイク落としシートをアルトの唇に押し当てた。 ミハエルはただ無心になって、口紅を拭った。そしてその唇が見慣れた色に戻った頃、ミハエルは役目を終えたメイク落としシートを丸めて、部屋の隅のゴミ箱へ放り投げた。それは、当然の如くゴミ箱へ吸い込まれる。スナイパーを生業としているミハエルには、頑張っても外せない距離だ。メイク落としシートの描く放物線を見送ったミハエルは、そのまま立ち上がれば良かった。そう、これでアルトの肌は守られた。だが、ミハエルは振り返ってしまった。 「・・・・姫?」 すぅすぅ、と寝息を零す唇。先程まで、ミハエルが拭っていた場所だ。 「・・・・・」 手が伸びた。 「っ・・・・」 ふに、と柔らかな感触が指先に触れる。それがアルトの唇である、と認識しながら止められない。そのまま、ゆっくりと唇に押し当てていた指で、自らの唇に触れる。 「・・・・何してんだ・・・・」 ふと我に返ったミハエルは慌てて立ち上がり、二段ベッドの梯子を駆け上がった。 |