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リビングのローテーブルに広げた時間割と単位取得要項を睨み付けながら、アルトはウンウン唸っていた。必修科目の時間と興味のある一般教養科目の時間が被っていないか、表を見比べつつ、効率よく単位を取得する方法を模索する。新大学四年生としてスタートを切った今日、この選択がこれからの半年を決めるのだ。
「へぇ・・・ナノマシン概論もあるのかぁ・・・」
おもしろそう、と口の中で呟くアルトの鼻孔を、甘い香りが擽った。匂いに釣られるように顔を上げれば、そこにはマグカップを両手に持ったミハエルが立っていた。
「空き時間に一般教養を詰め込むのもアリかもだけど、教育実習のことも考えて組んだ方が良いと思うぞ」
休憩にしよう、とミハエルはカップを差し出した。それは、ふんわりと甘い香りを漂わせるホットココア。しかも、ご丁寧にホイップクリームが絞られて、削ったチョコレートのデコレーション付きだ。パァ、と明らかに表情を輝かせて、アルトはマグカップを受け取った。ほんのり冷たいホイップクリームとココアの甘さに、体中の力がふぅと抜けて行く。
「・・・教育実習なぁ・・・・」
ミハエルは、際限なく緩みそうな表情を、ブラックコーヒーの苦みで引き締めると、ソファとローテーブルの間に座り込むアルトの隣に、腰を降ろした。
「姫も、美星学園に実習受け入れ、頼んだんだろう?」
大学を卒業すれば、SMSの正社員となることが九割方決まっているアルトとミハエルだが、このご時世何があるか分からない、と教職課程を取っていたのだ
。
例えSMSが倒産しても、アルトとミハエルの経歴ならば、どこの軍事プロバイダでも即戦力として雇い入れてくれるだろう。だが、このバジュラたちから引き継いだ新たなる星で、いずれ軍事プロバイダという業種そのものを不要とする声も出てくるかもしれない。そうなれば、アルトとミハエルは何のスキルも持たない、しがない学生でしかない。
そんな危機感も覚えながら二人は、取れる資格は片っ端から、と欲張ったせいもあって、中々ハードな学生生活を送っていた。
「今月末か来月頭には、事前打ち合わせに行かないとな・・・・」
「来週には事前の講義と演習が始まるから、あまり詰めると首絞まるぞ」
あぁ、とアルトは天井を仰いだ。柔らかな光とオフホワイトの壁紙が、目に沁みる。
「まぁ、まだ履修届を出すまでには時間があるんだから、ゆっくり決めようぜ」
ほらほら、とミハエルはまるで酒でも勧めるように、アルトにココアを飲むように促した。そして、何気なくテレビを点ける。ふと流れ始めたニュースに、アルトは眉根を顰めながらマグカップを傾けた。
「最近、この手のニュース多くね?」
それは、拳銃による傷害事件だった。確かに、とミハエルはカップを傾ける。アルトの指摘の通り、ここ最近、拳銃による殺傷事件のニュースを、よく見るようになったような気がする。ネットのニュースでも、連日トップページで目にする日が多い印象だ。
「爆発的に増えた感じするなぁ・・・」
同意するミハエルに、アルトは躊躇いがちに口を開いた。
「・・・確か新統合政府は、銃の所持を禁止してはないよなぁ?」
マグカップを両手で包むように持って、アルトはポツリと呟いた。つまり、とミハエルは眼鏡のブリッジを押し上げた。アルトは、簡単に所持できるから事件が増えた、と言いたいのだろう。だが、とミハエルはコーヒーで唇を濡らす。所持を理由にするのなら、もっと前、フロンティア船団に市民がいた頃から、事件は頻発していなければならない。
「昔っから、銃の所持は認められてるよ。現に、俺達だって任務中は携帯を許可されてるし」
「・・・でも、持ち出し申請面倒じゃないか・・・」
きちんと管理されている、と言いたいのだろうか。そう、アルトたちが使う銃は、いかに個人に合うように調整されているとは言え、SMSが一括管理している物品だった。つまり、ミハエル愛用のPSG−1も、作戦中は貸与扱いだ。そして、その貸与申請の面倒臭さは、オズマが毎回頭を掻き毟る程。
「普通の人が銃の所持をするのも、同じくらい面倒なんだよ」
眉間に皺を寄せて、不満そうにココアを啜るアルトに、ミハエルは小さく笑った。確かに法律では、民間人の銃の所持は認められている。但し銃を手にいれるには、店に行く前に警察署に出向き、様々な手続き及び安全に保管保有する為の講習を受け、そして所持するに値する人物かの面接を、クリアしなければならないのだ。ようやく所持する許可が降りても、銃弾の購入時は常に身分証明書及び拳銃所持許可証を提示しなければならないし、店側もそれらのコピーと販売記録を、定められた期間保管する決まりになっている。
「つまり、誰がいつ何をどれだけ購入したか記録を残すことで、管理してるってことか」
銃が欲しい、と思うのは自由だが、その繁雑さと徹底した管理体制に耐えられるなら、という条件付き。保有する権利を保障している代わりに、政府は義務を果たせと言っているのだ。
「そして、個人が保有している銃の線条痕も、警察のデータベースに保管されてる」
はぁ、とアルトは温くなったココアに、溜息を落とした。ライフルマークは、言わば銃の指紋である。銃弾さえ発見できれば、発砲事件が起きようが、犯人は瞬く間に逮捕される。もちろん、盗まれました、などという言い訳は通用しない。本当に盗難にあったのだとしても、定められた保管方法を順守していなかったとして、相応の罪に問われることとなる。果たして、とアルトは肩を竦める。ここまでのリスクを負ってまで、銃を持ちたいと思うだろうか。
「ん?この事件みたいに、まだ犯人が分からないって・・・」
何かに気付いたアルトに、ミハエルは小さく頷いた。
「そう、警察に届けられていない銃が使用されてるってこと」
苦々しく吐き出して、ミハエルはコーヒーを啜る。アルトもカップを傾けながら、ミハエルの言葉を考える。まるで所持させるつもりもないような、雁字搦めな管理下で、警察のデータベースに登録のない拳銃など存在するのだろうか。
「製造された直後の銃を盗む?」
出荷前の状態であればどこにも登録されていない、と顔を上げたアルトに、ミハエルは思いっきりコーヒーを吹き出しそうになった。
「本来の目的を果たす前に、普通、捕まるようなリスク犯すか?」
むぅ、と悔しそうに唇を尖らせるアルトにミハエルは、本当に、と頬を緩めた。社会の裏側と密接に関係する業種でアルバイトをしていながら、どうして密売という単語が出てこないのか。あぁ、とミハエルは思わずアルトの黒髪に指を絡めた。何物にも染まらず、汚泥の中でも清廉に輝き続けるアルト。だからこそ、自分はひかれたのだ。
「まぁ、頑固者とも言うけどな・・・・」
他人に流されやすい癖に、と小さく笑う。
「っ・・・言いたいことがあるなら、ハッキリ言えよ」
真っ赤になって狼狽えるアルトに、ミハエルは目を細めた。
「んー、姫は可愛いなぁって言っただけだよ」
もう数え切れないくらい肌を重ね愛し合ったというのに、未だ髪に触れられるだけで頬を染めるなんて、可愛い以外に適切な言葉があろうか。
「・・・んなコトは、どうでもいいんだよ。それに、姫って呼ぶな」
ミハエルの手から髪を引ったくると、アルトは口の中で文句を繰り返した。例え、ミハエルと恋人関係になり、更にこの星への入植を機に同棲を始めたとは言え、断りもなく髪に触る等のボディタッチされるのは勘弁願いたい。
「んで、話の続き!」
軌道修正というより、最早ただの照れ隠しだ。ミハエルは緩む頬を必死で押さえ付け、愛しいお姫様の為に話題を再開させる。
「下手に盗みなんかしたら、目的果たす前に逮捕されるかもしれないだろう?」
ミハエルの説明に、アルトは唸った。銃の使用を考える程に思い詰めた人間にとって、盗みなど瑣末なことだと考えるのではないか。そんなアルトに、ミハエルは首を振る。
「窃盗なんかしなくても、世の中には、いくらでも非正規ルートで銃を手に入れる方法はあるのさ」
「・・・・人を世間知らずみたいに言うな」
冷たくなったココアを一気に煽って、アルトは僅かに頬を膨らませた。確かにSMSに入隊する前の自分は、学校と家の往復ばかりで、世界を知ろうとしなかった。だがミハエルと付き合うようになって、アルトの世界は格段に広がったのだ。更に大学で一般教養を学ぶことで、社会の仕組みも理解しつつある。
「いや、別にそんなつもりないって」
まぁ世間知らずのお姫様だけど、という言葉を、ミハエルは寸での所で飲み込んだ。そう、違法拳銃の入手法なんて、普通に生活をしていたら、知る筈もないことなのだ。ミハエルは、不満そうなアルトの頭をポンポンと優しく撫でて、再び口を開く。
「インターネットだよ。ネットで手に入らない物なんて、何もないんだ」
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