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secret1
全校生徒の整列が完了し、始業式が始まった。アルトは、最早数えることを止めた欠伸を、噛み潰す。案の定、学園長の話は迂遠かつ冗長で、アルトだけでなく全校生徒は須らく飽き飽きしていた。
「うぅ・・・・頭痛ぇ・・・・」
中身のない学園長の話に対する感想ではない。眠気を我慢し過ぎた弊害。それに、とアルトは小さく息を漏らした。悩みによるストレスで、ここ数日まともに食事も取れていなかった。一年の始めだと言うのに、これ以上ないくらいバッドコンディションである。始業式でもなければ、問答無用でサボっている所だ。
「別に・・・友達とかいらないし・・・・」
芸能科にいた時は、確かにアルトはたくさんの同級生に囲まれていた。だが実は、アルトは誰一人として名前を知らなかった。名乗られた記憶もなければ、友達になろう、と言われた覚えもない。
きっと、とアルトは先の見えない学園長の話に、溜息を零した。彼らも、父親や後援会の人間たちと同じ。アルトではなく、天才女形早乙女有人だけを求めていたのだ。もっと言うなら、歌舞伎の名門と名高い早乙女家の跡取り息子、というラベルだけで、近づいて来たに過ぎない。
「・・・誰も、オレなんて必要としていないんだから・・・・」
父親は、歌舞伎の隆盛に尽力した、と人間国宝にまで指定された文化人だった。良く言えば、芸一筋。だが、それに付き合わされるアルトにとっては、暴君その物だった。天才女形と持て囃されたアルトだが、それは父親が一人息子の性を捻じ曲げることすら厭わなかった結果に過ぎない。稽古の時はもちろん、家にいる間中も女性として過ごすように厳命され、男性の理想とする女性の所作を叩き込まれた。
アルトをアルトとして愛してくれた母親が病気で亡くなると、世界は有人だけを認識し、早乙女アルトという人間などいないかのように振る舞った。
日々曖昧になっていく自己。そして、舞台の上の自分を見つめる御見物たちの視線の意味。その恐怖を、父親が考慮などする筈もない。自分は、父親が理想とする舞台を装置の一つでしかないのか、と何度布団の中で唇を噛んだか。
だから、とアルトは延々と話し続ける学園長を見た。アルトは自分を守る為に、舞台を降りたのだ。そして、憧れの空に羽ばたいた。それを、今止める訳にはいかないのだ。
「そう・・・なんとしても・・・・」
ここでグラついている暇などないのに。あぁ、とアルトは拳を握り締めた。音が遠い。世界が霞む。
「アルト先輩?」
まるでうわ言を呟いているかのようなアルトに、ルカは我慢できずに振り返った。その時ルカの視界に、棚引く黒髪が映った。何事か、と思うよりも早くドスンという鈍い音が響き、アルトの美しい黒髪が床に散らばる。
「アルト先輩っ!」
クラスメイトや隣のクラスの生徒たちも、ルカの悲鳴に騒然と列を乱した。耳に残る鈍い音は、アルトが床に倒れた音だと理解するや否や、ルカは跪いた。まるで糸の切れたマリオネットのように、グッタリと投げ出された体に手を伸ばし、意識のないアルトを揺さぶろうと試みる。だが、ルカの手がアルトの体に触れるより早く、白衣の裾を翻しながら颯爽と現れる。
「ミシェル先生!」
美星学園高等部の養護教諭にして、ルカとアルトが所属するEXギアアクロバット飛行部の顧問を務めるミハエル・ブランの登場に、ルカは声を上げた。
「頭を打ってるかもしれないから、あまり揺さぶったりしない方が良い」
親しい友人が突然倒れて、冷静さを欠いたのだろうか。珍しく動揺を露わにするルカに、ミハエルは驚きつつ気を失うアルトを抱き上げた。キャー、と女生徒たちから悲鳴が上がる。
まぁ、とルカは肩を竦める。遠目から見たら、髪の長いアルトは女子に見えるだろう。学園中の女生徒の人気を一気に集めるミハエルが、特定の女子をお姫様抱っこすれば、絶望と動揺が広がるのは当然だろう。
だが当のミハエルは、目の前の患者に意識の全てを注いでいるらしく、女生徒たちの動揺など気付いてもいないようだ。話を中断してしまった学園長に、問題ないことを手で合図し、歩き出す。
「倒れてしまった生徒さんは、ブラン先生にお任せするとして、お話を続けましょう」
貧血で倒れた生徒が出たと言うのにまだ喋るか、と全校生徒がゲッソリと息を吐き出す様を背中で感じつつ、ミハエルは体育館を後にするのだった。
secret2
美星学園高等部の保健室は、グラウンドでの不測の事態にも対応できるよう、一階に置かれていた。
ミハエルはノックすることなく保健室の扉を開くと、指定席でもある窓際のベッドに潜り込んだ。ネクタイを外して、眼鏡を枕の脇に置いた。そして、さぁ寝よう、と目を閉じた瞬間、シャっと間仕切りのカーテンが勢い良く開く音が響いた。
「おい、ベッドを使うなら、きちんとクラスと名前と症状を言え」
耳に馴染む、柔らかな低い声。だがそれは、明らかに馴染みの養護教諭の声ではなかった。風邪をひいた、と言うには声変りが過ぎると言うものである。ミハエルは慌てて体を起こし、声のする方へ顔を向けた。そこには、
「あれ?シェラじゃない?」
赤毛にグラマラスボディが悩ましい保険医は、何処へ消えたのか。ミハエルの目の前にいるのは、美しく切り揃えられた黒髪が艶やかな、溜息が出る程美しい人物だった。胸元に大振りのレースをあしらったブラウスに、ミニのタイトスカート。目に眩しい脚線美は黒いストッキングに包まれて、生唾を飲み込む程艶めかしい。
「シェラ・ニューマン先生は、産休に入られました。で、代用教員で来た早乙女アルトだ」
「っ・・・・早乙女アルトって・・・・あの?」
呻くようなミハエルの声に、アルトは目を見開いた。
「何だ、知ってるのか・・・オレのこと・・・・」
「もちろん!」
ミハエルは、ブランケットを跳ね上げた。そう、早乙女有人と言えば世間で知らぬ者はいない、美し過ぎる天才女形として連日テレビを賑わせていた人物である。銀河歌舞伎宗家、人間国宝に指定された早乙女嵐蔵の一人息子。将来を嘱望された天才だが、ある日忽然と表舞台から消えたのである。そんな人物がどうしてこんな場所で、代用の養護教諭などに収まっているのか。
「それで、お前の名前とクラスは?」
一方的に知られているのが気に食わないのか、アルトの表情が僅かに険しい。ミハエルは眼鏡を掛け、笑みを閃かせた。
「俺は、航宙科二年のミハエル・ブランだ。ミシェルって呼んでくれ」
「では、そのミハエル君は何でベッドを使用したいのかな?」
随分健康そうだ、とアルトは腰に手を当て、容赦なく厳しい言葉を漏らす。どうやら、微笑み一つで寝床を確保するのは難しそうだ。
「・・・そうだな・・・・頭痛が酷くて」
ミシェルで良いって、とミハエルは眼鏡を外した。そのままアルトの返答も待たず、そそくさとベッドに寝転がった。だが、それで引き下がるアルトではない。
「頭痛が酷い?」
ならば、とアルトは戸棚から体温計を持ってくる。
「とりあえず、体温を測ってみようか」
「・・・・ただの寝不足だから、熱はないと思うけど・・・・」
ミハエルは差し出されるままに、体温計を脇に挟んだ。
「寝不足?」
アルトは、眉根を寄せる。ただの寝不足であれば、確かに睡眠を取れば頭痛は解消されるだろう。ピピピ、と小さく電子音が響き、ミハエルは体温計を取り出した。
「平熱だね」
ミハエルは、体温計をアルトに手渡した。体温計に視線を落としたアルトは、デジタル表記の数字に低く唸る。
「三十五度五分が平熱だって?低過ぎじゃないか?」
低体温は、血行不良や免疫力の低下を招き、万病の元とさえ言われるのだ。慢性的な睡眠不足や、栄養不足が考えられる。
「ちゃんと食って、ちゃんと寝ろよ」
取り敢えず休んで良し、とアルトは踵を返し、カーテンを閉める。それは、とミハエルは小さく息を吐き出した。まるで、詮索されることを避けているようだ。
「・・・・お互い様ってことか?」
ミハエルだって、アルトに寝不足の原因を探られては困るのだ。何しろ、とミハエルは自らの掌で目を覆う。
「初恋か・・・・」
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