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Happy in Box
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ミハエルの雑誌を捲る手が、ピタリと止まった。 「へぇ・・・・・」 眺めるように読んでいた記事の一節に、ミハエルは思わず声を漏らした。チラリと投げた視線の先では、アルトが必死に課題と格闘しており、ミハエルの独り言など聞こえていないようだ。ホッと息を漏らして、ミハエルは再び雑誌に目を落とす。 早々に課題を片付けてしまい、アルトの邪魔にならないように、と唯一のパーソナルスペースであるベッドに引っ込み、手持ち無沙汰を紛らわすように広げた雑誌だが、中々有益な情報を載せてくれているではないか。ミハエルは、文章を追いながら関心しきりに何度も頷くと、そのままベッドボードに据えられた小さな本棚に手を延ばした。手だけでゴソゴソと本棚の奥を漁る。コトン、と指先に触れた硬い感触に、ミハエルは頬を緩めた。 「あった・・・・」 そのまま一気に引っ張り出す。数冊の本が崩れ落ちたが、ミハエルは厭うことなく目を細めた。掌に収まる、小さな黒い箱。夜を思わせるその色に、柔らかく広がる細かな銀色の粒はまるで天の川。オーガンジーの白いリボンを解いて蓋を開けると、フワリと鼻腔を擽る甘い香り。ふと、 記憶が蘇る。あぁ、とミハエルは目を閉じた。香りが記憶を呼び覚ます、と聞いたことがある、とぼんやりと思いながら。
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喧騒で溢れ返る昼休み。廊下も教室も、元気の有り余った生徒たちがワイワイとお喋りに忙しい。そんな中でアルトは、ただ一人机に突っ伏して眠っていた。日々の疲れが溜まっているとは言え、あまり無防備に可愛らしい寝顔を不特定多数に晒して欲しくないミハエルは、そんな恋人の姿に苦りきった表情を浮かべて見ていた。 「・・・・・今日は、俺のせいか・・・・・」 シャツとの透き間から覗く白い項の更に奥。うっすらと浮かぶ薄紅の跡に、ミハエルは小さく頬を掻いた。激情のままにアルトを抱いて貪って、漸く満たされて解放した頃には、既に空が白み始めていたのだ。登校できただけでも奇跡である。そんな状態のアルトに、寝顔を見せるな、など言う方が間違っている。 「何か言ったか?」 「いや、何でもないよ」 そんな訳でミハエルは、アルトの安眠を守るべく、廊下側の席でクラスメイトと雑談に興じていたのだ。 「それでさぁ・・・・」 年頃の少年らしい他愛のないお喋り。ミハエルは曖昧に頷きながら、聞き流す。ルカでもいれば、もう少し有意義な会話になりそうなものだが、生憎、相変わらず仕事が忙しいらしく、後方の席で猛然とキーボードを叩いている。しかも立ち上るオーラは修羅のようで、遠巻きに様子を伺うしかできない。ミハエルは肩を竦めると、再びアルトに視線を移した。背中から机に広がる黒髪が、二月の光を浴びて、美しく輝いている。綺麗だ、と目を細めると、まるでミハエルの視線に気付いたかのように、うぅ、と小さく呻くように唇が揺れた。そしてそのまま、寝返りを打つように窓の外へと顔を向けてしまう。誰彼構わず寝顔を晒さずに済むようになった反面、見えなくなってしまったことを少しばかり残念に思いながらミハエルはさり気なくクラスメイトとの会話の中に戻った。勝手なものだ、と自嘲を浮かべた時、ふと廊下から喧噪が消えた。 「・・・・何かあったのか?」 つられるように、皆口を噤んだ。その異様な静寂に、高い靴音だけが大きく響く。学園全体が、固唾を呑んでいるのが伝わってくる。気付けば、ルカさえも手を止めて廊下を見ている。 高らかに響く靴音が、ピタリと止まる。次の瞬間、教室後方の扉が大きく開いた。 「おはよう!って、もうお昼ね」 ストロベリーブロンドの豊かな髪をなびかせて、颯爽と教室に入ってきたのは、銀河の妖精シェリル・ノーム。なぜここに、という疑問が浮かび、すぐに沈む。すっかり失念していたが、彼女も美星学園の生徒なのだ。多忙のあまり授業に出る回数こそ少ないが、それでも机を並べれば、授業についていこうと必死にノートを取っている姿は、彼らとなんら変わらない。そうだった、と教室には再び喧騒が戻ってくる。 「シェリル、次の授業は小テストがあるってよ」 銀河の妖精にではなく、クラスメイトのシェリルに話しかける。シェリルは足を止めると、唇を綻ばせた。本当に、このクラスの人間は空気を読むことが上手い。爪の垢でも煎じて飲めば良い、と机に突っ伏すアルトに肩を竦める。無論、そんな素振りはチラリとも見せず、シェリルは豊かな胸を逸らして見せた。 「臨むところよ!」 攻撃的な微笑を閃かせて、シェリルはバサリと髪を掻き上げる。それが、強がりなのか本気なのか、判断するのは難しい。互いに頑張ろう、と笑みを返す少年たちに、シェリルはサムズアップで応えると、再び教室を満たし始めたざわめきに隠れるように、アルトの元へと急いだ。 シェリルの久々の登校、という事件にも動じることなく、アルトはスヤスヤと眠り続けていた。その幼さを残す寝顔に、シェリルは少しだけ複雑な表情を浮かべると、当然のように隣に腰掛ける。そして、シェリルは盛大な溜息を吐き出した。アルトから、ミハエルと付き合っているのだ、と告白された時の衝撃は、今でも忘れられない。だからこそ、とシェリルは指を伸ばした。何が何でも、二人には幸せになって貰わないと気が済まない。心の底から、アルトの選択に間違いはなかった、と思えるくらい。 「ちょっと、いつまで寝てるのよ?」 ふにふに、と肌トラブルを知らない白く滑らかな頬を突けば、柳眉が不満そうに動く。眉間に深い皺を刻み、シェリルの指から逃げるように顔を背ける。 「・・・あと・・・・・五分・・・・・」 寝ぼけた声が、寝ぼけた言葉を紡ぐ。シェリルはやおら手を振り上げると、そのままペチンとアルトの頬を叩いた。 「ってぇ・・・・ミっ・・・・え?シェリル?」 「ごめんねぇ、ミシェルじゃなくて」 ニッッコリと口元だけの微笑みを浮かべるシェリルに、アルトは顔を赤らめ、恥ずかしさから声を荒げる。 「なっ、何言ってるんだよっ!」 バカなこと言うな、と黒絹の尻尾を翻して、アルトは赤面を隠すように顔を背けた。だが、それで怯むシェリルではない。アルトの肩に手を延ばすと、力任せに引き寄せた。不安定になっている所を、そのまま向き直らせる。逃がすものか、と額がぶつかりそうな程、ズイと顔を近づけた。 「っ・・・・シェリル、近い・・・・」 グロスに濡れたぽってりとした魅惑な唇が、今にも触れてしまいそう。アルトは、慌てて体を引く。 「アルトが逃げるのが悪いのよ」 ふ、と鼻先に吐息を吹きかけて座り直すと、シェリルはバサリと肩口に落ちた髪を、背中に流した。悠然と脚を組むシェリルに、アルトは詰めていた息を吐くと、渋々向き合う。 「それで、何の用だよ」 何か企んでいる、と言わんばかりのシェリルの微笑に、先程から暑くもないのに汗が止まらない。蛇に睨まれた蛙の気持ちを理解しながら、アルトは声の震えを悟られぬよう、少し高い声で紡ぐ。 「二月になったわね」 「そうだな。正月も終わったし、もうすぐひな祭りだな」 シェリルの言わんとすることを察して、アルトは敢えて外した答えを返す。そう下手に、何が言いたい、などと返せば、嬉々としてシェリルはバレンタインの話を振ってくるに決まっている。ミハエルと恋人関係になった、と告げた時、シェリルは強く言ったのだ。幸せになれ、と。そしって、その為になら幾らでも手を貸そう、と。その言葉がどれ程心強かったか。男同士、という決して世間には歓迎されぬ関係に、不安を抱いていたアルトにとって、味方がいると思えることがいかに救いだったか。それが、要は首を突っ込みたいだけだったなんて、本当にがっかりだ。 「あら、アルト。アンタ大事なイベントを忘れてるわよ」 そう、アルトがわざと回答を外したからと言って、諦めるシェリルではない。ニコニコと笑みを絶やさず、アルトが自ら口にするのを待っている。あぁ、とアルトは溜息を漏らした。コイツは、本当に楽しんでいやがる。 「大事なイベント?猫の日も、ツインテールの日もオレには関係ねぇしなぁ・・・・」 何よツインテールの日って、とシェリルは呻いた。アルトは、どうしても言いたくないらしい。シェリルは小さく頬を膨らませた。せっかくの恋人同士のイベントなのだ。盛大にやるべきなのに。確かに、アルトが派手なことを好まぬはことは知っている。けれどミハエルなら、これ以上ないくらい喜ぶに決まっている。もぉ、と小さく落とすと、シェリルは溜息を交じりに口を開いた。 「バレンタインデーは、アンタに関係大アリでしょ?」 あぁやっぱり、とアルトは肩を落とした。シェリルの口は滑らかだ。 「それで、もう用意したの?チョコレート」
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