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ぱわふるさまー
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宿舎内で唯一のパーソナルスペースである二段ベッドの上段で、ミハエルは眉間に皺を寄せて旅行雑誌を睨み付けていた。う〜ん、と珍しく唸りながら、簡易机の前で黙々と課題に励む恋人を見下ろす。白い項に絡む後れ毛の艶っぽさに、思わずゴクリと喉が鳴る。だが、とミハエルは自分を律した。もうすぐアルトの誕生日なのだ。下手な火種を作る可能性は、少しでも排除しておくべきだ。一瞬の快楽より、永久に続く甘い幸せの日々を。アルトと付き合い始めて、ミハエルが覚えたことの一つである。そう、刹那に身を任せて、毎日を無意味に消費する日々から卒業したのだ。そんな、本当に満たされる時間を教えてくれたアルトに、素敵な誕生日プレゼントを贈りたい、と考えるのは至極当然のことだった。だが、とミハエルは眼鏡をずらして、アルトの手元を窺った。物欲が極端に少ないアルトに、何を贈るべきか決めあぐねているのだ。数日前に直球で欲しい物を訊ねた際も、物はいらない、という返事が戻ってきて、心底ミハエルを困らせてくれた。 「まぁ、可愛いこと言ってくれたけどね」 真っ赤になったアルトを思い出して、頬が自然に緩んでくる。あれが計算ではない、と言うのだから恐れ入る。一時だって、目を離すことを許さない絶対の引力。まるで磁石のように、ミハエルを引き付けて止まない。 「ミシェル?何か言ったか?」 サラサラと長い髪を揺らして、アルトはゆっくりと首を巡らした。その何げないながら、ほんのりと艶めいた仕草に、ミハエルはため息を吐き出した。アルトの体に刻み込まれた芸の神髄。こういうふとした瞬間に、その片鱗が零れ落ちる。だが、とミハエルは肩を竦めた。決して指摘してはいけない。例え、誰もが憧れる領域に到達していようとも、アルトにとっては呪いも同然。地雷以外の何物でもない。 「いや。それって今日出た課題だろう?」 「そうだけど。ミシェルはやらないのか?」 厳しい訓練に耐えた肉体は休息を欲して、瞼が勝手に落ちてくる。それでも、提出期限が明後日となれば、少しでも片付けなければ単位に響く。虎視眈々と主席の座を狙うアルトとしては、泣き言など言っていられない。敵がベッドに陣取って余裕を見せているなら、その隙を狙って少しでも差を詰めておきたい。 「提出は明後日だぜ?」 焦るミハエルが見たくて、アルトはニヤリと笑って見せた。だが、ミハエルは冷静に眼鏡のブリッジを押し上げる。 「あぁ、それならもう片付けた」 「え?」 ポカン、と首を傾げるアルトに、ミハエルはベッドから体を乗り出すようにして、もう一度繰り返す。 「だから、もう終わったって言ったの。写さしてやろうか?」 意地の悪い笑みを浮かべて、ミハエルはアルトの鼻先に指を伸ばした。アルトは不満げにミハエルの手を払い除け、余計なお世話だ、と唇を尖らせる。 「いつ終わらせたんだよ」 今日のスケジュールは、二人とも全く一緒だった筈だった。朝食も並んで食べたし、授業もきっちりこなした。オズマの八つ当たりのような訓練を、互いに苦笑いを浮かべながらクリアしたのは、つい数時間前の話だ。アルトでさえ、ようやく課題に取り掛かる時間が作れたと言うのに、ミハエルは既に片付けてしまったと言うのである。アルトは首を捻る。出された課題は、中々の量である。幾ら学年主席を誇るミハエルでも、簡単に片付けられるとは思えない。だが、ミハエルの表情からは、苦し紛れに適当なことを言っているようには見えない。 「昼休み。本当は、授業中に終わらせたかったんだけど、結構量があったからな」 ミハエルの言葉にアルトは、そう言えば、と思い出す。珍しく早々にお弁当を食べ終えたかと思えば、ノートらしき物を広げていたような気がする。 「基本、課題は授業中に片付けるクセがついちゃったんだよ」 フェアじゃない、と文句を言いたそうな目を向けるアルトを、チョイチョイと指で呼び寄せ、その長い髪を指先で梳くと、ミハエルは少し自嘲を滲ませた。 「確かに、課題は学校から帰ってから手をつけるべきだろうけど、緊急招集とかあるとできなくなるじゃん。だから、どんな課題だろうと学校にいる間、もっと言うならその授業が終わるまでに片付けないと、提出できなくなる可能性が出てくるって考えがあってさ」 それは、アルトよりも長い従軍経験故に身に付いた習慣。幾ら教師がミハエルの事情を知っていたとしても、課題提出について考慮してくれる訳ではない。出来る限りの努力をしなければ、主席どころか進級すら危うくなる。もちろん、課題というしこりを抱えていては、放課後の充実したプライベートを楽しめない、という理由もあったが、口にする必要はない。何しろ、アルトと出会う前のことなのだ。自分から火種を撒くような趣味は、ミハエルにはなかった。 「・・・・・・そう・・・・・だな・・・・・」 ミハエルの言葉に、アルトは俯いた。自分の浅慮と、ミハエルの生き様の片鱗が見えた気がして、胸が詰まった。ミハエルの軍属年数こそが、彼の悲しみの時間なのだ。アルトはタンクトップの裾を握り締めた。どうしようもなく切なくて、ミハエルを抱き締めたい衝動に駆られる。でも、頬が熱い。 「何、暗い顔してるんだよ。せっかくの姫の美貌が台無しだぜ?」 滑らかな頬を指でなぞり、俯いた顎を掬い上げた。そして、アルトがいつもの文句を呟くより早く、柔らかな唇に軽く口付ける。チュッ、と小さく響いた水音にアルトは狼狽えた。 「急に何すンだよ!」 濡れた唇を手の甲で拭って、アルトは真っ赤な顔で抗議する。こんな油断も隙もないヤツを抱き締めたい、と思うなんて、自分はどうかしていたのだ。してやったり、と笑うミハエルの顔が実に憎たらしい。 「別に良いだろう?二人っきりなんだしさ。・・・・姫、キス嫌い?」 「・・・・・・ウルサイ」 いくらここが二人の部屋だとは言え、不意打ちなんて心臓に悪すぎる。アルトは長い髪を翻してミハエルから距離を取ると、簡易机の上を片付け始めた。 「終わったのか?」 「集中力が切れたんだよ」 暢気に響くミハエルの声が、実に癪に触る。誰のせいだと思っているのか。残りは、明日の休み時間中で片付けるしかあるまい。アルトは肩を竦めながら、ノートと教科書を鞄に突っ込む。 「そう言えば、最近ランカちゃんの元気がないらしいんだけど、アルト何か知らないか?」 アルトは乱暴に簡易机を押し込んで、仏頂面で呟いた。 「オレに聞くなよ」 確かに、ランカから度々仕事に関する相談や進捗をメールで送られてくることはあるが、何でも知っていると勘違いして貰っては困る。 「ルカから、アルトに聞いてみてくれって頼まれてさ」 ルカもナナセ辺りからの受け売りだろう。ルカとナナセの共通の話題と言えば、超時空シンデレラが八割を占めていると言っても過言ではない。アルトは頬を人差し指で掻いた。 「そうは言ってもなぁ・・・・・・疲れてるだけだと思うぞ。確か、大きな音楽イベントがあって、急遽出演が決まったとか言ってたし・・・・・・」 「あぁ、ランカちゃん。夏フェスに出るんだ」 さすが、とミハエルは小さく口笛を吹いた。アルトは首を傾げた。ランカが出演する音楽イベントは、ミハエルが知っている程メジャーなものなのだろうか。 「まぁ、姫だしな」 アルトの表情でも読んだのか、ミハエルはニヤリと唇を歪めて見せた。世間知らず、と言いたいのだろう。アルトは眦を吊り上げる。確かに、自分は空にしか興味はなかったし、家を飛び出す前までは、学校と稽古と舞台だけの狭い世界で生きてきた。多趣味のミハエルからしてみれば、アルト程つまらない人間はいないだろう。 「夏フェスタって言って、全銀河中のミュージシャンが出演する音楽イベントなんだよ。開催地は毎年違うんだ。そうか、今年はフロンティア船団だったんだな」 確かシェリルはスケジュールの都合で、今年は不参加だと言う話だ。デビューしてから毎年出演していた目玉アーティストだけあって、その穴を埋めるミュージシャンなどいない、と囁かれていた。 「ユニバーサルボードにランクインするレベルじゃないと声さえ掛けてもらえない、ミュージシャンなら憧れるイベントだよ」 だが、彗星の如く現れた超時空シンデレラなら、シェリルの穴を埋められるだろう。それ程、今のランカには求心力があった。 「凄いイベントなんだな。ランカなんて、つい最近デビューしたばかりなのに・・・・」 私なんて、が口癖のどこにでもいるような女の子だった。なのに、今やシェリルと並び賞されるトップアイドルである、と銀河が認めたのだ。 「それが、才能ってヤツだろう?」 ミハエルの言葉に、アルトは頷いた。本当に輝くべき存在という者は、何をしなくても注目を集めてしまうのだ。自然と人を惹きつけることこそが、才能だ。それは、訓練で体得できる物ではない。言うなれば、神様からの贈り物。そしてシェリルは勿論、ランカも神様からの贈り物を受け取った者だったのだ。 「ランカちゃんの話は分かった。頼まれごとも解消したし、そろそろ寝ようか?」 眼鏡を外して、ミハエルは柔らかい笑みを浮かべる。その甘く柔らかな微笑みに、アルトは視線を外した。まるで、おいで、と誘うような声が聞こえてきそうで、落ち着かない。アルトはミハエルを見ないようにしながら、就寝準備を急いだ。髪を解いて、目覚まし時計をセットする。 急に何かを警戒し始めた小動物のようなアルトに、ミハエルは目尻を下げた。幾ら肌を重ねても、アルトから初々しさがなくなることはなかった。それが、男の嗜虐心を煽ると知らないのだ。本当に、男心を知らないお姫様である。 「アルト。おやすみのチューは?」 「っ・・・・・するかアホ!」 今にも泣き出しそうな表情で頬を染めたアルトは、おやすみも言わずにそのままベッドに引っ込んでしまった。シャッとカーテンを引く音が響き、ミハエルは肩を竦めた。 「姫、電気消してよ〜」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 からかい過ぎたのだろうか、返事がない。仕方ない、とミハエルはベッドを撓らせて起き上がった。裸足のまま床に降りると、ライティングを落とす。そのまま自分のベッドに戻らず、ペタペタと床を歩いた。そして、そっとカーテンを開ける。 「・・・・っミシェル?・・・・・・」 突然覗いた顔に、アルトは驚きの声を上げた。しかし、ミハエルはニッコリと笑うと無言でアルトの体に覆い被さった。体を固くさせるアルトに破顔して、ミハエルは暗がりの中で、少しだけ長くアルトの唇を吸った。 「おやすみ」 チュッと額にも口付けを落とすと、ミハエルは満足げな笑みを浮かべて自分のベッドに戻った。 |