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絶対領域_下~perfect Sanctuary~ |
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ブランケットを頭から被って、アルトは膝を抱えて震えていた。放り投げた携帯電話は、その衝撃から電池パックが外れ、既に電話やメールを受けることはできない。だが、それでもアルトの体の震えは収まらなかった。 毛布の隙間から警戒するように、部屋を見回す。この部屋のどこかに、盗撮用のカメラか盗聴器が、仕掛けられていることに間違いはないのだ。ならば、部屋を出るという選択肢もあるだろう。だが、とアルトはブランケットに爪を立てる。部屋を出れば、盗聴器などからは解放されるだろう。けれど、この部屋以外にアルトがゆっくりできる場所などない。ブリーフィングルームという手もあるが、こんな酷い顔をして行けば、世話好きのボビーに色々と詮索されるかもしれない。じゃぁ、とアルトは脳裏に宿舎を思い浮かべる。だが、すぐに力なく首を振った。そう、宿舎内でプライベート空間と言えるのは、このベッドの上だけ。それに、とアルトは体を抱いた。宿舎内にいるかもしれないメールの送信者が、アルトが部屋を出たことを悟れば、どんな行動に出るか。想像するだけで恐ろしい。きっと、とアルトは唇を噛んだ。飛んで火に入る夏の虫とばかりに、かつてアルトを見ていたご見物たちのようなギラギラした視線で、アルトの体を舐め回すに違いない。 「ふ・・・ぅっ・・・・っ・・・」 ぶわ、と音を立てて肌が粟立った。腹の底から競り上がってくるのは、嫌悪か怒りか。視界の暗闇が、ボンヤリと滲む。あぁ、とアルトは薄く笑った。冷え切った頬の上を、熱い雫が伝う。舞台を降りたのに、自分はまたここでも、絡みつくような熱い視線に晒されなければならないのか。いや、今まで気付かなかっただけで、普段からシャワールームなどで、そんな視線を向け続けられていたのかもしれない。 「っ・・・うっ・・・・っ・・・・・」 アルトは更に身を縮め、体を小さくした。落ちる涙と嗚咽を聞かれたくなくて、アルトは顔を手で覆う。それでも、涙を止められない。嗚咽を無理に堪えるせいか、酷く胸が痛い。 「くっ・・・・ぅっ・・・・」 指の隙間から、涙が零れる。見られているかもしれない恐怖。それに怯え屈服するしかできない悔しさ。その全てが頬を伝い、シーツの上で砕けて滲む。震える唇が、助けを求めて小さく動いた。だが、アルトは掌で口元を抑え込んだ。頼っているのだ、と聞かれたくなくて。そして、認めたくなくて。それでも、掌は知っている。唇が紡いだ名前。 助けて・・・・・・ミシェル・・・・・・。
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「ありがとうございます」 運転手に礼を言うと、ミハエルは転がるようにタクシーから降りた。通用門をすり抜け、すっかり明りの消えた宿舎のロビーを走った。消灯時間が過ぎれば、廊下を行き来する人間もパッタリと消える。そう、体を休めるのも軍人の務め。それが、現在の主な業務が運送業だけとなっても変わらない。スクランブルがないことを祈りながら、それでもいざと言う時の為に余念なく備える。それこそが、 S.M.S という民間軍事会社に勤める人間の有り様なのだ。だからこそ、バタバタと廊下を走ることに僅かな罪悪感を覚えつつ、誰にも会わない幸運に感謝する。そう、髪もボサボサでオシャレをする余裕のない自分を見たら、オズマでさえ何事かと慌てるだろう。それ程までに、ミハエルは取り乱していた。電話に出ないアルトに何事もないことを願いながら、それでも心の奥底から湧き上がる悪寒にも似た不安を、振り払えない。この目で、この手でアルトの無事を確認しなければ、息をすることさえままならないだろう。 ミハエルは、キュと靴底を鳴らしながら立ち止まると、肩で息をしながら自室の扉を睨み付けた。そう、この中のベッドでアルトが静かに寝息を立てていれば、それで良い。それが、ミハエルの望む世界だ。だが、と腹の底がジワリと冷える。もしも、部屋の中にアルトがいなかったら?あの大戦を共に戦い抜き、生きる意味と理由を守り切ったと言うのに。また彷徨うかもしれない恐。もう二度と、アルトを抱くことができなくなるかもしれない、という絶望に、目の前が暗くなる。 「いや」 ミハエルは首を振った。悪い予感は、悪い未来を引き寄せる。そんなことある訳がない、と笑い飛ばして、ミハエルは扉のパネルを操作する。ふしゅ、と空気の抜ける音が響き、ゆっくりと鉄の扉がスライドする。 「・・・・姫・・・・?」 そっと夜の帳を揺らすように、ミハエルは小さく声を掛けた。だが、アルトからの返事はない。ぞ、と背筋が粟立つ。いやいや、とミハエルは首を振る。基本、寝汚いお姫様である。こんな、蚊の鳴くような声で名を呼ばれたぐらいで、起きる訳がない。そう、熟睡しているのだ、とミハエルは真っ暗な部屋へと足を踏み入れた。同時に、爪先が何かを蹴飛ばした。カシャン、と静寂を破るような派手な音が響く。だが、その音さえなかったかのように、闇は沈黙を続けている。ミハエルは詰まる息を吐き出した。 「アルト?」 もう一度、呼び掛ける。そう、ミハエルが認めようとしなくても、その肌が気づいていた。ミハエルの耳に、アルトの寝息が聞こえない。ただ、空気が震えていた。それは引き攣れるように、ミハエルの心を掻き毟った。 「寝てるのか?」 そんな筈はない。だが、ミハエルは一縷の望みに縋るように、声を掛ける。だが、漸く闇に慣れた目が見たのは、カーテンの閉まっていないベッド。ミハエルは、拳を握りしめた。そこに、ブランケットに包まる人影はない。目につくのは、ベッドの下に転がる携帯電話。余程の力で投げ付けられたのか、電池パックを外れ、ディスプレイは暗く沈んでいる。なるほど、とミハエルは肩を竦める。どうりで電話が通じない筈である。いや、とミハエルは人影のないベッドを見下ろして小さく呟いた。この視界に毛布に包まって寝息を立てているアルトの姿があれば、ホッと胸を撫で下ろすことができただろう。だが、そこにアルトの姿はない。そして、寝ぼけた拍子で放り投げられたとは思えない程、バラバラとなった携帯電話。 「まさか・・・・」 じわり、と滲むような不安が、最悪の予感をミハエルに見せ付けた。そう、冗談ではない。アルトが何者かに連れ去られた、などある筈がない。今や完全に運送業に押されてはいるが、 S.M.S は民間軍事会社である。その宿舎で誘拐事件が発生するなど、警察署内で盗難事件が発生するようなものだ。そう、絶対にあり得ない。ならば、とミハエルは乾く口腔を潤すように、唾を飲み込んだ。アルトはどこへ消えたのか。ミハエルは祈るような気持ちで、カーテンの開け放たれたベッドを覗き込んだ。そこには、 「・・・・アルト?」 ベッドの隅に張り付くように、こんもりとブランケットの山があった。それは、フルフルと怯えるように小刻みに震えている。ミハエルは刺激しないように、音を立てぬようにゆっくりとベッドに膝をつくと、ブランケットに手を伸ばした。そっと、細心の注意を払って毛布に手を掻けた。音もなくブランケットが落ちると同時に、口元を手で覆い、ハラハラと涙を零すアルトが現れた。 「アルト!」
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