にゃんにゃんらぷそでぃー

20091101発行予定

 人は誰しも、心身の疲れを癒す術を知っている。
 ファントムハイヴ家執事、セバスチャン・ミカエリスも例外ではない。

 昼食を終えると、シエルはファントム社の社長としての業務をこなす。今日は、ハロウィン商戦の経過報告書の確認と、クリスマスに合わせた新商品の最終チェックがスケジューリングされていた。
クリスマス用に普段より毛足を長くしたビターラビットの手触りを確認し、更にカラーバリエーションの指示をセバスチャンに出して、シエルは書類に向き合った。ジャク・オ・ランタン風の帽子を被ったビターラビットの売れ行きは好調で、品切れ続出、次回のクリスマスバージョンへの期待も高まっていると、現場の声が伝えている。また、製菓部門もオレンジと黒でパッケージされた飴やチョコレートの売り上げも上々。ハロウィン当日に向けて、更に出荷量を増やすべきだ、とシエルは書類にペンを走らせた。
 シエルはキィと椅子を回転させると、窓の外に視線を投げた。カサカサと冷たい風が通り過ぎる。
 ハロウィンと言えば、仮装して近所を練り歩く。この日ばかりは、夜更かしも許されるのだ。『trick or treat!』とお菓子をねだり、ポケットから溢れんばかりに詰め込んで。毎日がハロウィンなら良いのに、と興奮が冷めぬままにベッドでまどろむのだ。
 もちろん、シエルにそんな思い出はない。それは、すべてエリザベスから聞いた遠い物語。シエルにとってハロウィンは会社の売り上げを爆発的に押し上げる、起爆剤でしかない。
「あぁ、そういえばエリザベスが来るんだったな」
 残っている資料に再び目を落として、シエルはペンを走らせた。

 可愛らしいものが大好きなレディの為に、セバスチャンは最大のおもてなしを準備する。愛用のエプロンを腰に巻くと、袖を捲くった。
 今日のスイーツは、ハロウィンを意識してキャンディーアップルパイ。まず、パイ生地を空焼きするべくオーブンに入れる。パイ生地が焼き上がりを気にしつつ、セバスチャンはソースパンにリンゴジュースを注ぎ込んだ。そこにシナモンレッドキャンディーと食紅を投入し、バニラエッセンスで香りを付ける。キャンディーが溶けたら、食べやすいサイズにカットしたリンゴを入れ、柔らかくなるまでコトコト煮る。リンゴが柔らかくなったら、荒熱を取り焼き上がったパイ生地に敷き詰める。そして、エリザベスが到着するまで冷蔵庫で冷やすのだ。こうすれば、トロトロのリンゴと固まった飴のカリカリとした食感の楽しいアップルパイの完成である。
 併せて作ったパンプキンプリンも冷蔵庫に入れると、セバスチャンはフゥと息を吐き出した。ゆっくりと首を回して、自らの手で肩を叩いて凝りを解す。さすがにスイーツ二種にディナーの下拵えを一人で片付けると、多少の疲労を感じる。セバスチャンは、懐中時計を取り出し時間を確認する。どうやら、少し息抜きの時間が取れそうだ。
「私は少し休憩を取りますので、くれぐれも余計なことはしないようにお願いしますよ」
 手持ち無沙汰気味のバルドに釘を刺して、セバスチャンはキッチンを出た。以前、クギを刺さずに休憩に出た際、厨房が黒焦げになっていたことが多々あった。それ以来、セバスチャンは自分の精神衛生を保つ為に、まるで呪文のように繰り返す。例え気休め以外の効力を発さなくても、自分の落ち度を責めるという苦行からは解放される。
「皆さん、良い方なんですけどねぇ」
 人柄だけでは如何ともし難いことが、世の中にはたくさんある。セバスチャンは肩を竦めると、勝手口から外に出た。
 秋らしい高い空。夏の日差しに緩んだ神経を引き締めるような、冷たい秋風にセバスチャンは小さく息を吐いた。すぐ後ろに忍び寄る冬の気配。あまり寒くなっては、セバスチャンの愛しい人が凍えてしまう。
「冬支度を考えないといけませんね」
 小さく呟いて、セバスチャンは地面に白い小皿を置いた。
「さぁ、ご飯を持ってきましたよ」
 ディナー用の肉の切れ端を皿に乗せて、セバスチャンは辺りに声を掛ける。すると、ガサガサと繁みが揺れた。
「みゃ〜」
「お待たせして申し訳ございません」
 セバスチャンは目尻を下げて、現れた黒猫に声を掛けた。猫は、遅い、と少し不満げに一声鳴き、そのまま皿に走り寄った。フンフンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、勢いよくがっつき始める。
「あぁ、そんなに慌てなくても誰も取りませんよ」
 脇目も振らず食べる黒猫を、セバスチャンは優しい微笑みを浮かべて見守る。食事時特有の無防備さがありながら、横取りされぬよう周囲に神経を尖らせる。そんなアンバランスさが誰かを彷彿とさせなくもないが、セバスチャンは自らの意識から切り離した。セバスチャンは今、休憩中なのだ。
「もう少し小さく切った方が良かったみたいですね」
 肉片が大き過ぎたのか、猫は時々天を仰いでハグハグと顎を動かし肉を口中へ運ぶ。それは、面倒など微塵も感じさせず、むしろ大きな肉に喜んでいるようにも見える。
「そうですか、満足ですか」
 ペロペロと更に付いた肉汁も綺麗に舐め取る猫に、セバスチャンは満足げに笑った。猫もセバスチャンの笑顔に気付いたか、みゃ〜とお礼代わりに応える。その声を合図に、セバスチャンは黒猫を抱き上げた。猫も餌を頂いた恩義か、セバスチャンにされるがままだ。わしわしと頭を撫でて、そのまま頬をふにふにと揉みしだく。手袋をしているせいで、その毛並みを堪能するには不十分だが、喉を撫でると気持ちよさそうに目を細めゴロゴロと鳴く姿を見るだけで、セバスチャンは自分が癒されているのが分かる。更に、小さな丸い前足をプニプニと摘めば・・・・。
「あぁぁ、猫は良い〜」
 まさに至福の瞬間である。正直、この瞬間の為に日々を生きていると錯覚してしまいそうだ。いや、この時間があるからこそ理不尽な主の我侭も笑ってやり過ごせるのだ。
ふにゅふにゅと肉球を触られて、猫はくすぐったいと不満に鳴くが、セバスチャンにその抗議は届かない。がっしりと抱き締められて、身動きすら取れないのだ。毎日の餌と引き換えとは言え、中々リスキーだ。いい加減耐えられない!ばかりに、猫はパカンと口を開いた。キランと光る、猫の牙。そして、白い手袋に包まれた指にがっぷりと噛み付いた。
「っ・・・・・・」
 一瞬の痛みに、セバスチャンの腕が緩む。その隙をついて、猫はスルリとセバスチャンの腕から抜け出ると、石畳の上で小さく鳴いた。
「いいえ、私に非があります。申し訳ございません」
 噛み付いた猫に文句など言わず、むしろ丁寧に詫びて見せる。猫はしつこく触られることを嫌う。猫の限度を見誤れば、噛み付かれたり引っ掛かれるのは当然のこと。
「にゃぁ〜ん」
 猫は一声鳴くと、セバスチャンに背を向け繁みに戻る。最後の声は、また明日という意味だろうか。セバスチャンは目一杯目尻を下げて、黒猫の背中を見送った。

続きは、イベント当日をお楽しみに!