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片恋_下
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「・・・んっ・・・・」 瞼が重い。いや、とアルトは首を振る。そもそも自分は、どうやって目を開けていただろうか。思い出せないのならいっそこのままでも、とものぐさな考えがよぎるが、それでも瞼の上を叩く光が、目を覚ませと声を上げる。 「んんっ・・・・」 どうにか瞼を開くと、アルトは視界いっぱいに広がる天井に首を傾げた。どこか見覚えのある天井。だが、それは自分のアパートでもSMSの宿舎でもない。ましてや、早乙女の屋敷の天井は、こんなに未来的ではない。それでも、自分は確かにこの天井に見覚えがある。白く、近未来な印象さえ受ける天井。果たして、そこはどこだっただろうか。アルトが記憶を辿る旅に出ようとした時、 「やぁ、目が覚めたね。気分はどうだい?」 頭上から降るような声に、アルトは目を丸くした。視界は、相変わらず白い天井で埋め尽くされている。声の主であるカナリアの姿はおろか、気配すら感じられない。 「あぁ・・・こっちだ」 コンコン、と何か固い音が響いた。困惑するアルトに、カナリアが自分の居場所を知らせる為に、ノックしたようだ。アルトは音のした方に目を向け、そして言葉を失った。 「え・・・・・」 そこには、ガラス越しに立つカナリアの姿があった。ゆっくりと首を巡らし、アルトは漸く自分の居場所を理解した。白い天井、白い壁。バジュラとの戦いで無茶をして、運び込まれたことがあった。 「済まんな。V型感染症の罹患が認められたので、隔離させて貰った」 「・・・・V型感染症・・・・」 脳裏によぎるのは、弱ったシェリルの姿。あのエネルギーの塊のような少女から、輝きを奪った病に、自分も侵されているとは、一体どういうことなのか。いや、バジュラクイーンと共に過ごした自分が、感染するのは道理だろう。だが、とアルトは唇を噛む。V型感染症は、治療法が確立されていなかった。不治の病だ。だからこそ、シェリルを救う為にギャラクシーの人間は、ランカの命を狙ったのだ。そんな死亡宣告にも等しい言葉を、なぜカナリアは雑談でもするように口にできるのか。ある程度の覚悟をさせてから、言うべきものではないのか。 「あぁ・・・そんな顔をするな・・・・」 大丈夫だから、とカナリアはアルトを安心させるように優しく微笑む。何が大丈夫だ、と訝しむアルトに、カナリアは大きく頷いた。 「今は特効薬があるんだ」 ほら、とカナリアはアルトに上を向くように指指さす。アルトが言われるままに目を向けると、そこには桜を思わせる薄紅の液体に満たされた点滴バッグがぶら下がっていた。ポタポタとゆっくり落ちるそれは、まさに舞い散る桜に似ている。薄紅の雫はチューブを通り、アルトの腕まで続いている。 「・・・コレが?」 カナリアの言葉に、アルトは首を傾げた。 「ランカの血を元に、研究開発されたんだ」 「・・・・研究開発?」 それが、如何に時間が掛かることであるか、世間に疎いアルトだって知っている。しかも、既に処方されているなど、一体どんな魔法を使ったのか。 「取り敢えず、その点滴が終わったらもう一度検査をする予定だ。ウィルスが残っていないことが確認できたら、一般病棟に移れるから。もう少し辛抱していてくれ」 面会もそれからだ、とカナリアは言い残して、白衣の裾を翻しながら踵を返す。その小さくなっていく背中を見送って、アルトは再び視線を天井へと戻した。 「何なんだ・・・・・」 沸き上がる妙な違和感。通常では有り得ない早さで開発された薬。そして、指一本ですら自由にならない重たい体。それらは、一体何を意味しているのか。アルトは、ポタポタと落ちる桜の雫を見詰めながら、考える。その思考の渦に飲み込まれるように、アルトの意識はゆっくりと霞んでいった。
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カナリアがブリーフィングルームに足を踏み入れると、カウンターの中でグラスを磨いていたボビーが目配せをして見せた。その視線の先では、最奥のテーブル席をスカル小隊が陣取っている。アルトが目覚めた、という報せに、居ても立ってもいられなかったのだろう。病院まで乗り込んでこなかったのは、偏に面会謝絶を言い渡していた故だ。 「呼び出した訳でもないのに、全員集合とはな・・・・」 困ったように頭を掻きつつ、カナリアはまるで雛鳥のように情報を待つ彼らのテーブルに腰掛けた。ボビーも話を聞きたいのか、カナリアのビールジョッキを片手に、スツールを引き摺っている。まぁ、とカナリアは肩を竦めた。ここにいる全員が、アルトを心配していたのだ。 「アルトの様子はどうだ?」 カツン、とささやかにジョッキをぶつけ合って、オズマは早速本題に切り込んだ。気持ちは分かるがね、とカナリアは苦笑を漏らしつつ、ジョッキを傾けた。ビールで喉を潤すと、口を開く。 「記憶の混乱も見受けられないし、V型感染症の完治が認められれば、すぐにでも面会は可能だろう」 長時間は無理だろうが、とカナリアは言い足してジョッキを傾ける。それは一安心ね、とボビーは笑顔を閃かせた。だけど、とボビーはバジュラの袋嚢から落ちるアルトの姿を思い出して、表情を一転させる。 「ところで、アルトちゃんのあの姿って・・・・」 そう、とミハエルは手の中のグラスを見つめた。一瞬だが腕に抱いたアルトは、バジュラクイーンと銀河の果てに消えた日のままだった。少年から大人へと変わろうとするアンバランスさを秘めた頬に、背中の中ほどで揺れていた黒髪。その全てが、あの日のまま。 「あぁ、私も気になって調べてみたんだが・・・・」 カナリアはそこで言葉を切ると、ジョッキを煽る 「体組成年齢は、十七歳」 カナリアは空になったグラスを両手で抱えて、大きく息を吐き出すように呟いた。 「・・・・・コールドスリープ、ですか?」 腰を浮かして驚くオズマとボビーとは対照的に、ルカは冷静な声を響かせる。その言葉に、カナリアは小さく頷いた。 「一体、どんな原理が働いていたのか知らないが、そう考えるのが妥当だろうな」 つまり、とミハエルは小さく呻いた。本当にあの日から、アルトの時間は一秒たりと進んでいなかったと言うのだ。アルトだけを置き去りにして、月日だけが通り過ぎた。強く拳を握り締める。 「そのせいもあるのか、アルト自身にあれから十年の歳月が経ったという自覚はないみたいだ」 まぁ、とルカは眉間の皺を揉む。十年という長い年月を、独りきりで宇宙を彷徨えば、精神に異常を来たす可能性が高い。にも関わらず、アルトには記憶の混乱は元より、錯乱もなかったと言うのだ。長い長い眠りに就いていた、と考える方が自然だろう。 「自覚はないみたい、ということは、あれから十年経ってることは伝えてないのね?」 ボビーは空のジョッキを持って立ち上がる。 「あぁ、V型感染症に罹患していることは告げたが」 何だって、と今度こそオズマは浮かせた。ガシャン、とテーブルに膝が当たったのか、グラスやアイスペールが音を立てる。 「・・・・思い切ったわねぇ・・・・」 空のジョッキを抱えたまま、ボビーも驚愕の表情を浮かべて振り返った。だが、カナリアはオズマ達が驚いている理由が分からないのか、首を傾げている。 「V型感染症は特効薬もあるし、治る病だからな。それに下手に隠すと、隔離している理由を説明しにくいしな・・・」 つまり、とミハエルは苦笑を洩らした。最早カナリアにとって、V型感染症はインフルエンザと同じなのだ。言葉を濁す必要性など感じなかったのは、当然だっただろう。だが。だがしかし、とオズマは眉間を揉む。 「アルトにとっては、まだ不治の病だろう・・・・・」 シェリルが助かるには、ランカの内臓の全てを移植するしかない、という極端な話が出ていた位なのだ。治ると言われても、一概に信じられる物ではなかっただろう。オズマの指摘に、カナリアは腕を組んで頷いた。 「特効薬があることは告げたが、僅かばかり怪訝そうな顔をしていたのは確かだ・・・」 「新薬の開発は、非常に時間が掛かりますからね」 ルカは、カランとグラスの中の氷を鳴らした。その齟齬こそが、アルトに時間経過の意識がないことを示している、確かな証拠だろう。 「つまり、誰かがアルトちゃんにあれから十年経っている、という説明をしなきゃならないのね」 気が重いわねぇ、とボビーは苦々しいため息を吐き出しながら、カナリアの前にビールで満たされたグラスを置いた。 「早ければ、一週間程で一般病棟に移ることができるだろう。もちろん、個室を用意するつもりだ」 それでも、とミハエルは無言のままグラスを傾けた。窓から見える景色は、アルトの想像を遥かに超えた物であることに違いないのだ。あの大戦の瓦礫は消え失せ、フロンティア船団に勝るとも劣らない、素晴らしい街並みが形成されている。その上で、人々が生活して十年の時を経ているのだ。成熟された空気は、昨日今日で作られるものではない。そして、それはアルトだって分かる筈である。無関係な人間からの不用意な発言を避けても、やはりアルトが受ける衝撃は、ミハエル達が想像するより大きいだろう。その宣告を誰がするのか。
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