片恋_上

 

 

「アルト、アルト、アルトぉぉぉぉぉ」

 手を伸ばし絶叫する自分の声に、ミハエルは跳び起きた。暗闇の中、膝を抱えるようにしながら、落ちる前髪を掻き上げる。吐き出した溜め息が、独りっきりの部屋に大きく響いた。

「・・・・今、何時だ」

 ミハエルは、ヘッドボードに手を伸ばした。手繰り寄せた時計代わりの携帯を見つめ、ミハエルは小さく呟いた。

「あぁ・・・・・」

 そうか、と曖昧に頷く。どうりで、あの日の夢を見るは筈である。まるで、あの日の後悔を忘れぬように、と節目節目に繰り返し。何も言えず、何も伝えられぬまま、消えて行くアルトの背中を見送ることしかできなかったあの日を、ミハエルは繰り返し夢に見ていた。そして、その度に叫び声を上げながら、目を覚ます。あの日を取り戻せ、とミハエルを奮い立たせる。

「・・・・ヨシ」

 ミハエルは気合を入れるように頬を叩くと、ベッドから降りた。今日から、新しい生活が始まるのだ。ただその隣に、アルトの姿がない。

 

◆◆◆◆◆◆

 

 宇宙まで透けて見えそうな程晴れ渡った青い空に、ミハエルは目を細めた。サラ、と風に前髪が揺れる。併せて、薄紅の花が空に舞う。あぁ、とミハエルは眩しい日差しを避けるように、掲げた手を目の上に翳した。胸に甦る光景。憧れが身近にある、と気づいたのも、こんな日だった。あの頃はまだ姉がいて、この胸にある想いが何であるか、考えもしなかった。ただ舞い散る桜の薄紅の隙間に見えた黒髪と、白い横顔に衝撃を覚えた。そう、あの天女が舞い降りてきたのか、と目を奪われた。ミハエルは小さく笑った。何だ、と自嘲を浮かべる。気づきもしなかった。否気付こうともしなかった。この胸にある想いは、想像していた以上に昔から芽吹いていた。

「ミシェル先ぱ〜い!」

 天使よりも愛らしい笑顔を閃かせて、ブンブンと手を振りながら駆けて来たのは、カッチリとしたスーツを着込んだルカだった。トレードマークの半ズボンは、高等部卒業と同時に卒業したのか。いや、とミハエルは肩を竦める。さすがに、大学の入学式ともなればTPOを弁えざるを得ないか。

「もうお花は貰いましたか?」

 そう微笑むルカの胸には、新入生を祝うピンク色の造花で作られたコサージュが、燦然と輝いている。

「へぇ、そんな物配ってるのか」

 ルカのコサージュを指で弾いて、ミハエルは眼鏡のブリッジを押し上げた。そして新入生や、それを各々のサークルに引き摺り込もうとする在校生などでごった返す正門の状況に、肩を竦める。最早このコサージュは、在校生のターゲットマーカーだ。獲物を狙うハイエナの如く鋭い視線で、新入生に狙いをつける先輩たちの姿に、ミハエルでさえたじろぐのだ。気の弱い新入生には、それはどれ程の恐怖か。そんな獲物の仲間入りを果たすくらいなら、コサージュなど遠慮したい処だ。だが、

「遅いぞミシェル!」

 ドン、と腰に強い衝撃を受けて、ミハエルは慌ててたたらを踏む。

「クラン!何しやがる!」

 勢いよく振り返ると、そこには突撃の犯人である、幼馴染のクラン・クランが胸を反らして立っていた。

「何しやがる、じゃない!お前も、早くこれを付けろ」

 ホラ、と押しやられたのは、ルカと揃いのコサージュだった。どうやら、腕に下げているバスケットに、ターゲットマーカーが入っているらしい。断る、と首を振れば、クランはミハエルのネクタイを力の限り引っ張り、堪らず屈んだミハエルの胸元に無理矢理付けてしまった。眉根を寄せて不満を表すミハエルなど歯牙にも掛けず、クランは満足そうに繰り返し頷いている。

「それにしてもミシェル。お前が政治経済を極めたいと思っていたなんて、ちっとも知らなかったぞ」

 ミハエルやルカより一年早く進学していたクランは、幼馴染の進路に未だ驚きを消化しきれていないらしい。確かに、とミハエルは曖昧に頷いて見せた。文系に進むと、担任に申し出た時も、鳩が豆鉄砲を食ったような表情が返ってくるばかりで、進路相談の体を成さなかったのだ。まぁ、と肩を竦める。文系理系問わず、美星学園の主席として満遍なく好成績を収めていたミハエルに、教師のアドバイスなど必要なかったと言えばそれまでだ。むしろ、強く進路変更を勧められなかったのは幸いだった。

「・・・別に、政治や経済を極めたいとは思ってないよ。ただクランを見てると、理系は忙しそうだなって・・・・・」

 そう、実験やレポート提出に追われ、自分の時間を作ることすらままならない大学生活など、ミハエルには考えられなかった。高校生と違い、大学生は自らの意思でカリキュラムを作ることが出来る。そしてミハエルは、可能な限り時間を作ろうと思っていた。その時間の全てを使って、とミハエルは拳を握る。

「それに、ある程度纏まってシフトに入れれば、SMSの基本任務である輸送艦の護衛任務にもアサインできるかな、と思ってさ」

 綻ぶ桜にも負けない、柔らかく優しい笑顔。

「ミシェル先輩・・・・まさか・・・」

 ルカが驚いたように顔を上げた。クランも、あ、と声を漏らす。

「さてね・・・・」