逆転DEカルチャー

 

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 弁当を突く手を止めて、アルトはふと空を見上げた。
 青い空に映し出される雲のホログラムは、夏を思わせる入道雲から秋を代表するうろこ雲へと変化していた。季節はゆっくりと冬へと傾斜し始めている。
 全てが管理されているフロンティア。一年を通じて一定の気温に保つことさえ可能なのに、こうして季節を作り出すことはある意味無駄なことだ。それでも、移ろう季節を作り出そうとするのは、それが美しいことだと皆が感じたからよ、と柔らかく微笑を浮かべた母の顔を思い出す。
「アルト?どうした。手が止まってるぞ」
 本日3つ目の弁当に手を伸ばしながら、ミハエルはアルトに声を掛けた。アルトは長い髪を揺らして振り返ると、淡い笑みで空を見るように促す。
「夏も終わるなぁって思ってさ」
 あぁ、とミハエルは目を細めた。確かに見上げた空は、作り物とは言え深みのあるブルーへと変化しつつあった。常に空を見上げる彼らだからこそ分かる、小さな変化。
「今日は午後からシェリルも来られるんだよな?」
 ミハエルは、こちらも久しぶりに朝から登校していたランカに振り返った。ランカはナナセの隣でサンドウィッチを齧りながら、コクンと頷いた。
「じゃぁ、シェリルさんも参加できるんですね」
 カタカタとノートパソコンのキーボードを叩きながら、ルカは嬉しそうに笑う。ルカの言葉の意味が分からずに首を傾げるアルトに、ナナセがクスッと小さく笑みを漏らす。
「文化祭の話し合い。忘れちゃった?」
「私、美星学園の文化祭って初めてだから、すっごい楽しみ!」
 ピコピコと緑色の髪が、ランカの感情に合わせて動く。そのキラキラとした笑顔に、アルトもつられて笑う。
「見に来たことはあるんだろう?」
「うん、ナナちゃんの絵を見にね。ホント凄いよね」
 ランカの言葉に、アルトたちは微妙に頷いた。確かに、美星学園の文化祭は凄いの一言に尽きるだろう。各方面に才能ある人材を輩出している美星学園。その文化祭への力の入れようは、他の学校を圧倒する。と言うのも、美星の生徒にとって文化祭は、自分の学んできたことを発表する年に一度の場なのだ。シェリルやランカのライヴがなければ、アルト達だってアクロ飛行を披露する機会は限られていた。否応なく力が入る。
「学科発表はどうしても全力だよな」
 ミハエルは空の弁当箱を仕舞い、4つ目の弁当箱を開いた。先日描いた飛行計画(マニューバ)を思い出して、夏に終わりを告げる空に描く。
「この間ね、シェリルさんに会ったんだけどね。シェリルさんもすっごく楽しみにしてるって!」
 ピョコンとランカの髪が跳ねる。確かにな、とアルトは出汁巻き卵を箸で器用に千切りながら、頷いた。シェリルは歌手として常に第一線に立っていた。それ故、文化祭はおろか学園生活だってままならなかっただろう。故郷への心配はあろうが、シェリル自身今の生活を楽しんでいる。きっと、それが彼女の強さだ。
「実行委員あたりが、シェリルさんとランカさんのライヴとか企画しそうですね」
 ぷにぷにの頬に手を当てて、ルカはぼんやりと呟いた。
「えぇ、さっき正式に学園から依頼があったわ」
 カツンと靴音を響かせて、凛とした声がルカの呟きに応えた。
「シェリルさん!」
 ランカの髪が弾む声と合わせて動く。その様子を微笑ましそうに見ながら、シェリルは当たり前のようにアルトの隣に腰を降ろした。
「ってことは、今後の授業料の一部はお前のギャラに充てられるってことか」
 アルトは拳一つ分横へ移動すると、肩を竦めた。今でこそS.M.Sのバイト代で潤いのある生活を送れているが、それまでは爪に火を灯すように日々を過ごしていたのだ。どうしても恨み言が口を吐く。
「アルト、アンタ狭量にも程があるわよ」
 シェリルは目を細めてアルトを非難すると、長い髪をふぁさりと掻き上げる。
「ノーギャラに決まってるでしょ。こっちもお世話になってるんだし」
 そこで一度区切ると、シェリルは飛び切りの笑顔を閃かせて人差し指を立てた。
「こんなサービス、めったにしないンだからね」
 バチンとウィンクまで飛ばす大サービスだ。
「シェリルさん、凄い・・・・・」
 キラキラと目を輝かせるランカに、シェリルは柔らかい笑みを零す。
「何言ってるのよ。ランカちゃんも一緒にオープニングを飾るのよ」
 今やシェリルとランカは音楽業界の双璧だ。高々学校の文化祭にしては、些か豪華すぎるオープニングである。
「何と言うか、凄まじい出オチ感がするな・・・・・」
 盛り上がるかもしれないが、他の展示や演目が食われてしまいそうだ。アルトは弁当箱を片付けながら、げっそりと呟いた。
「学園側から正式に依頼ってことは、舞台演出なんかは舞台美術コースの連中がやるのか」
「らしいわね」
 ミハエルの疑問に、シェリルがニヤリと唇の端を吊り上げた。シェリルのステージに対するこだわりはかなりの物で、プロでさえその要求に完璧に応えるのは難しい。ライト一本の当て方から、鋭い声が飛ぶことさえある。幾度か目の当たりにしたことがあるが、果たして半人前の学生にこなせるだろうか。
「まぁ、戦争が飛行機の歴史を百年早めた、と言われますからねぇ」
 ルカの例えに、アルトは曖昧に頷いた。百回の稽古より一回の舞台が演者を成長させるのは事実だ。実践に勝る訓練はない。
「ま、お手柔らかに頼むよ。シェリル」
 自分たちも巻き込まれることを想定して、ミハエルは諦めたように肩を竦めて見せた。
「私のリクエストを速やかに遂行してくれれば良いだけよ」
 相変わらず手厳しい。だが、その厳しさを自分にも課しているからこそ、シェリルはトップを走り続けているのだ。それが、プロの世界。お金を頂いて演じるという覚悟。
「今年はどんな出し物が良いかしら?」
 最後の一口を飲み込んで、ナナセはお弁当箱の蓋を閉じた。
「あれ?ナナちゃんは絵を描いているんじゃないの?」
 キョトンとランカは首を傾げた。文化祭で開かれる展覧会に向けて、毎日キャンバスに向かう親友の姿を、ランカはずっと見てきた。少し先に腰を降ろしたシェリルも不思議そうに振り返る。
「絵は学科発表用で、今日はクラスの出し物を話し合うんですよ」
「へぇ、クラスの出し物ねぇ。去年は?去年は何をやったの?」
 弾むシェリルの声に、アルトは密やかにため息を吐き出した。だが、アルトの心情など誰も知る由もない。
「劇です」
 ルカは画面から顔を上げて、シェリルの質問に答える。へぇ、とランカは息を呑み、そしてナナセに耳打ちした。
「ねぇ、アルト君は何を演ったの?」
 一度見せてもらったカブキは、本当に素晴らしかった。あんな綺麗な世界があるという事実に、まるで体が雷に打たれたかのような衝撃を覚えたのだ。きっとアルトの立った舞台は、誰しもが絶賛しただろう。
「いや、姫は参加してないよ」
 目も良ければ耳も良い。ランカやナナセからは離れた場所に座るミハエルが、あっさりと答えた。思わぬ場所からの返事に、ランカは驚きながら更に疑問を口にした。
「じゃぁ、裏方?」
 人差し指を形の良い顎に押し当てて、ランカは首を捻る。参加していない、とはどういう意味だろうか。裏方であっても、一緒に舞台を作っていることには代わりない。大体、とランカは残りのサンドウィッチを食べる。いくらクラスの出し物とは言え、アルト程の人材を裏方に回すなんてもったいないことをするだろうか。
「言ったろう?ランカちゃん。アルトは参加してないんだよ」
「一切関わらなかった、ということかしら?」
 説明しなさいよ、と言わんばかりの勢いでシェリルはアルトに迫った。
分かっている。他人が完璧に自分の心情を理解してくれることはない。早乙女の家を捨て、芸を捨て、それまで積み上げてきた自分さえ捨てたアルトに、誰しもがもったいないと呟くのだ。それがどれ程アルトを締め付け苦しめてきたかなど、想像もしないのだ。天賦の才能と将来を約束する家名。だがそれは、アルトの未来を雁字搦めにする鎖でしかなかった。その頸木からようやく逃げ出したのに、例えクラスの出し物、所詮お遊びの延長とは言え、再び舞台に引き摺り上げられるなど、悪夢以外の何物でもなかった。
 アルトは肩を竦めると、開き直ったように投げやりに口を開いた。
「フケたんだよ」
「そうそう、劇に決まった瞬間から一切クラスに顔を出さなくなったんだよなぁ」
 我ながら子供っぽいとは思ったが、あの時のアルトにはそれ以外の回避行動を知らなかった。なぜ舞台の世界から逃げたのか、その理由を知るのはミハエルだけ。しかも、打ち明けたのはつい最近のことだ。否、打ち明けたというか口が滑ったという方が正しいだろう。そう、あんな理由をクラス全員の前で説明できるわけがない。嫌な奴だと思われる方が、ずっと気分が楽だった。
「で、姫は今年は何が良いのかな?」
 二年連続で逃げられちゃ堪らない、とミハエルは目を細めた。アルトはミハエルの視線から逃れるように顔を背けると、不機嫌そうに唇を歪めた。
「劇でなければ何でも・・・・・」
 合唱でも研究発表だろうが、ドンと来いだ。懐石料理を作れ、と言われれば喜んで引き受けてやる。
「男に二言はないよな、姫?」
 スッと目を細めるミハエルに、アルトは叫んだ。
「姫って呼ぶなっ!」
 劇でさえなければ参加する、と言っているのに。大体、ミハエルはいつまで自分を姫扱いするつもりなのだろう。
憤然とするアルトなど眼中にない、とばかりにシェリルはミハエルの言葉に含まれたニュアンスに、ピンとアンテナを反応させた。
「その言い方だと、何か案があるみたいね?」
「え?ミシェル君、何かアイディアがあるの?教えて?」
 シェリルとランカが、ズイズイと迫るようにミハエルに近付く。銀河中のファンに嫉妬で殺されても文句も言えないような状況になりながらも、ミハエルは両手を広げて肩を竦めた。
「さぁ?何のことかな。ミス・シェリル?」
「私が気付かないとでも思ってるの?」
 腹の探り合い、とでも言うのだろうか。二人の遣り取りとボンヤリと見ながら、アルトは漠然と考える。この二人、ベクトルが似ているような気がする、と。きっと口に出したら、一言一句違わずに否定されるだろう。それが似ているという証拠に他ならないだろうに。思わず、ふっ、と笑みが漏れた時、シェリルの手がバンッとアルトの肩を強く叩いた。
「アルトも思うでしょう!」
 天下のアイドルが凄い形相でアルトに迫る。ここで心の通り、思わない、と答えればきっとタダでは済まないだろう。自他共に認める鈍感なアルトが、ミハエルの言葉の響きだけでその奥に隠されている真意に気付くことが出来るなど、奇跡に他ならない。もし気付けるならば、ミハエルの言動に振り回される回数は激減することだろう。
「何考えてンだよ。言えよ」
 ルカも手を止めて、期待に満ちた視線をミハエルに向けている。ナナセもランカの肩を抱くようにして、ミハエルに注目している。ミハエルは、ヤレヤレと肩を竦めた。
「姫に免じて白状すると、一応案はあるね」
 その言葉に、シェリルは更に一歩を踏み出した。
「言っちゃいなさいよ」
 シェリルの言葉に、ランカとナナセが強く頷く。ルカは相変わらず手を止めたままミハエルを注視し、アルトは別段興味なさそうな表情を浮かべている。どうやら、本当に劇以外なら文句はないようである。ミハエルは小さく笑みを噛み潰すと、人差し指を立てた。
「内緒」
 立てた人差し指を唇に押し当てて、ミハエルはおどける。
「はぁぁ?アンタ、それで私が納得すると思っているの?」
「焦らなくても、ちゃんと話し合いの席で発表するから。ま、お楽しみってコトで」
 シェリルの追求をサラリと交わして、ミハエルは平らげた弁当箱たちを持って立ち上がった。その時、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響き、シェリルたちは不満そうに唇を尖らせて教室へと戻るのだった。
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