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Very
Pink_3
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ゴミ箱の中身をダストシューターにぶちまけて、アルトは溜息を吐き出した。今日もシフトに入っているが、足が重い。普段であれば、掃除当番のゴミ捨てじゃんけんに負けたことを心の底から悔いて、ダッシュで片付けるのが常だ。それが、新米軍人たるアルトが取るべき行動でもあり、何より『飛べる』という事実がアルトの足を軽くした。 アルトは、窓の外に目を向けた。ほんのりとオレンジを帯びた空。嘗ての地球の夕暮れを再現した、作り物の空。それでも、どんなに辛く悔しいことでも、空を飛べば全てが忘れられた。アルトの体を包み羽ばたかせる風が、瑣末なことだと思わせた。アルトの悩みも、この空が偽物だということも。それ程までにアルトは空に焦がれ、飛ぶことを渇望していた。 それが、早乙女アルトの全てだった。 全ての筈だった。 ゴミ箱を抱えて教室に戻ると、アルトは思わず扉の前で足を止めた。ただ一人、窓辺でまるで物思いに耽るように佇む人影。夕焼けをバックに浮かび上がったシルエットは、まるで美術館に飾られた彫刻を思わせる体躯を持ち、そしてとても特徴的な前髪を持っていた。アルトは、セーターの裾を握り締めた。誰が見間違えるだろう。鍛え抜かれた鋼の肉体は、制服越しでも良く分かる。アルトは唇を噛んだ。 あの体が、二度もアルトを組み敷いたのだ。 一度目は、SMSの広報用ビデオを撮った時。ビデオ出演という、不本意な仕事をさせられた憂さを晴らすように貪られた。揚句に何を血迷ったのか、自分のことを好きだ、などと宣いまでして。 本気だ、と言ったくせに。 自他共に認める女好きが、女のなりそこないのような自分を好きだなんて、悪い冗談を通り越して悪夢以外の何物でもない。そうアルトに、本気だ、と言っておきながら、ミハエルは女性との距離を改めることはなかった。仲良く談笑し、手作り弁当も相変わらず受け付けた。そう、ミハエルが自分に告白をしたのは、夢だったのではないか、とすら思った。何しろ、とアルトは当時を思い出す。ビデオ撮影の時以来、ミハエルはアルトの身体を求めることもしなければ、指一本触れようとすらしなかったのだ。そして、イライラが止まらず、せっかくランカとシェリルに誘ってもらった高級旅館でも、醜態を晒す羽目になったのだ。 「ペナルティなぁ・・・・」 遅刻した挙句、醜態を晒したアルトに、シェリルはペナルティを課すことを宣言しているのだ。未だ、その全容は明らかにされていないが、覚悟するようにミハエルから伝言を受けている。あのシェリルが考えるペナルティだ。アルトの予想の遥か斜め上を行く物が、出てくるのだろう。気が重い、と小さく呟いて、アルトは肩を落とした。ペナルティの内容など、アルトの悩みに比べたら、大したことないに決まっている。問題は、とアルトは窓辺に佇むシルエットに目を向けた。ランカとシェリルの前で、前後不覚になるまで酒を煽り、盛大に酔っ払うという無様な姿を見せたその夜。自分を介抱するミハエルに、再びその劣情をぶつけられたのだ。アルトの中に燻る感情を、嫉妬だ、と断じて。 その正体不明のイライラに、嫉妬と言う名のラベルが貼られることによって、アルトの感情は一定の沈静化を見せた。そう、ミハエルに対する嫉妬という感情を解消する為に、シェリルたちとの旅行から帰ってきて以来、アルトは進んで訓練に参加し、体力づくりも積極的に行った。もちろん、万年主席のミハエルを引き摺り下ろすべく、勉強にも心血を注いだ。だが、そんなアルトの必死の努力を嘲うかのように、ミハエルは肩を聳やかすようにしながらアルトの鼻先を掠めて、十歩も二十歩も先を行くのだ。 結局、ミハエルとの差は何一つ埋められず、本当ならイライラも燻り続けている筈なのだ。にも拘らず、アルトの心は平穏そのもので、気になることと言えば、相変わらず分からないミハエルの真意ぐらいだ。旅行から帰って以来、ミハエルは女性と談笑するよりも、アルトにちょっかいを掛けることが増え、弁当も登校中にコンビニで買うようになった。そこに、何か意味があるのか、アルトには分かりかねた。そう、ミハエルは相変わらずアルトに触れようとしないのだ。 アルトは、手が白くなるまでセーターを握り締めると、ガラリと表情を変えた。そう、どれ程捨ててしまいたい、と願ってもこの身は嘗て役者だったのだ。長く稽古をしておらず、多少錆び付いていようとも、誤魔化すことぐらいはできる。アルトは腹に力を入れると、セーターを掴んでいた手を開いた。 「何だよ。先に帰らなかったのかよ?」 掃除当番でもないミハエルに、残る理由はない筈だ。ましてや、今日はアルト同様にシフトに入っているのだ。早々に帰って、勤務開始時間まで、宿題を片付けるなり有意義に過ごすべきだろう。それを、ただぼんやりと時間を浪費していただけにしか見えなければ、疑問を口にするのは当然のこと。ミハエルは、夕焼けを背に柔らかい笑みを浮かべる。 「姫と一緒に帰ろうかと思って、待ってた」 ふわり、と優しく解ける砂糖菓子のような甘い笑顔。金色の夕日に、柔らかな金髪が輝いて見える。アルトは、唇の裏を噛んだ。まるで御伽の国の王子を思わせる空気を纏うミハエルに、そんなことを言われて、舞い上がらない女性はいないだろう。だが、アルトは吐き捨てる。 「姫じゃねぇし。待ってて欲しいなんて、一片たりと思ってねぇから」 そう、自分は女性ではないのだ。理想の女性像を叩き込まれていようと、この身は男。期待する方が間違っている。不機嫌を滲ませて、鞄を引っ掴むアルトに、ミハエルは変わらず柔らかな微笑で応える。 「俺が待っていたかったんだよ」 ふん、とアルトは長い尻尾を翻した。これがミハエルのファンならば、目をハートにして卒倒するところだろう。だが、アルトはミハエルを一瞥しただけで黙殺すると、何も言わず教室を後にする。その背中を追いかけて、ミハエルも教室を出る。 「それにさ、今日の訓練はロードワークだろう?一人で先に帰る気にもならないだろう?」 確かに、とアルトは唸った。アルトの足が重い理由も、実はミハエルと同じだった。幾らシフトに入っているとは言え、毎回哨戒任務があるわけではない。シュミレータでの訓練もあれば、事務作業をこなさなければならない日もある。そして、体力づくりもアルトたち戦闘機乗りには、大事な任務だった。過酷な状況で、的確な判断と操縦が要求されるパイロット。それらを裏打ちする物こそが、体力だと考えられていた。確かに疲労は気力を削り、判断を狂わせる。そして、一人の判断ミスは隊全体を窮地へと追いやり、下手を打てば全滅と言う最悪の展開を引き起こしかねないのだ。だからこそ、アルトたち実戦部隊には、定められた時間をトレーニングに充てるよう、厳命されているのだ。ジムでのウェイトトレーニングは、まだヤル気にもなるのだが、ロードワークのハードさを思うと、気乗りしないどころか、回れ右をして逃げたくなるのが真情と言うものだ。無駄に放課後残ってみたり、少しでも遠回りして下校したくなる気持ちは、理解できる。校門を出て、まっすぐ駅に向かおうとしないミハエルに、アルトは小さく笑みを零した。 「すっかりクリスマス一色だな・・・・・」 街を彩る、赤や緑。そして、煌く雪の結晶を始めとする様々なオーナメントたち。クリスマスに馴染みの薄いアルトでさえ、どこか楽しい気分になる。 「そう言えば、姫のクリスマスイヴのご予定は?」 人の波を避けながら、ミハエルは肩越しに振り返った。姫と呼ぶな、といつものセリフを返して、アルトは記憶を辿る。 「イヴは、確かシフト入ってた筈だぞ」 しかも、冬休みに入っているから、と朝から入れられていたような気がする。更に言えば、ミハエルも同じシフトだった筈である。 「でも、夕方までだったろう?だから、夜の予定はどうなってるのかな?と思ってさ」 シェリルやランカから、誘いがあったかどうか探りを入れる。肩を並べて歩くアルトは、うんうんと唸りながら、首を右に左に傾ける。その度に、プワプワの白いダウンジャケットの上で、艶やかな黒髪がサラサラと音を立てた。 「多分、特に何もなかったと思うけど・・・何だよ、予定のないオレを笑いたいのか?」 被害妄想だよ、とミハエルは笑う。だが、アルトは白い目を返した。どうせミハエルのことだ。秒刻みのスケジュールで、たくさんの女性と甘い時間を過ごす予定が、ギッシリと詰まっているのだろう。アルトは、腹の底から競りあがってくるような苦い塊を遣り過ごす。 「いや、俺も何の予定もないからさ、良かったらメシでも食いに行かないかなぁ、と思ってさ」 「はぁ?」 学園一のモテ男が、クリスマスに何の予定もないなど、一体何の冗談か。アルトは怪訝そうな表情で、ミハエルをマジマジと見詰めた。ガラス越しのエメラルドグリーンが湛える光は複雑過ぎて、正直何を考えているのかアルトには分からなかった。ただ一つ確実に言えることは、どうせいつものように自分をからかおうとしているという点だ。何しろ、とアルトはダウンジャケットの裾を握り締める。ミハエルは、アルトをからかう為ならば、体を張ることに何の躊躇もないのだ。そう、過去二回がそうであったように。 「今年はシフトも入っちゃったし。そうすると、上がりの時間も分からないだろう?女の子待たせるなんてスマートじゃないし」 ヘイヘイ、とアルトは気のない相槌を打つ。ダウンに食い込む爪が痛い。 「だったら一緒にいて、時間の融通がきくアルトとメシ食いに行くのも悪くないかなぁと思ってさ」 消去法かよ、とアルトは肩を竦めた。これが、最初から自分とクリスマスを過ごしたい、と言われれば気分も違うのだろうか、と考えて、アルトは慌てて首を振る。一体、自分は何を血迷っているのか。ブンブン、と音がする程頭を振って、ふとミハエルを見れば、まるで眩しい物を見るかの如く目を細めている。その柔らかく甘い表情に、アルトは慌てて視線を落とした。どうして、ミハエルはそんな目で自分を見るのか。アルトは深呼吸を繰り返し、どうにか早鐘のような心臓を静め、口を開いた。まだ少し、耳の先が赤いのは見逃して欲しい。 「・・・・別に、クリスマスにやることって言ったら、からあげ作って食うぐらいだし」 照れ臭いのか、歩くスピードが速くなる。 「別に行ってやっても良いぜ?メシぐらいなら」 ミハエルが、常にアルトに新しい世界を見せてくれるのは事実だ。二度の過ちにさえ目を瞑れば、ミハエルと時間を共有するのは、中々有意義で楽しかったりする。 「なら、決まりだな。食いたい物とかあるか?」 どこのお姫様だ、という突っ込みを飲み込んで、ミハエルは顔を見せようとしないアルトを覗き込む。同時に、アルトは慌てて顔を背ける。一瞬見えた、ほんのりと頬を染めたアルトに、ミハエルは思わず息を飲んだ。これは、と呻きそうになる自分を抑え込む。下手に指摘などしたら、全てが水泡に帰してしまうだろう。だから、見えなかった振りをする。 「・・・・別に、何でも・・・・・」 特に好き嫌いがあるわけでもない上、あまり外食という行為に馴染みがないアルトに、リクエストなど思いつきもしない。緩く首を振るアルトに、ミハエルは小さく頷いた。押すばかりが、テクニックではない。 「じゃぁ、適当に探しておくよ」 「おう・・・・期待してるよ」 アルトが好きそうな物。ケーキやデザートの造詣が美しい所が良いだろう。ふと見たショーウィンドウに、表情を綻ばせたアルトが映っている。そのほんわりと花の咲くような微笑みに、ミハエルは自分の胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じた。そのくすぐったい感覚が顔に出ないようにしながら、そうだ、と手を打った。 「ねぇ姫。クリスマスにからあげ作ってるって、どうして?」 純粋な疑問。どうしてクリスマスにやることが、からあげを作って食べる、なのだろうか。足早に改札を抜けようとする黒髪を追い掛けて、ミハエルはアルトの回答を待つ。ホームに向かうエスカレーターを上りきった所で、アルトは漸く口を開いた。 「その・・・・・クリスマスには・・・・・フライドチキンだって・・・・言うだろう?」 「っ・・・・・ぶふっ」 恥ずかしそうに頬を染めて唇を尖らせるアルトに、ミハエルは思いっきり噴出してしまった。その可愛らしい表情も反則だが、理由も中々の物だ。確かに、鶏を揚げているという点については同じかもしれないが、からあげとフライドチキンはまったくの別物だ。更に言えば、クリスマスにはフライドチキンと言うのは、ある企業の戦略に過ぎない。それに何より、アルトもささやかながらクリスマスを祝っていた、という事実が何とも微笑ましい気分にさせてくれる。 「下手に店に行くの止めて、姫のアパートでからあげパーティーも良いな」 ニッと笑うミハエルの戯言を掻き消すように、電車が入ってくるアナウンスが響く。姫じゃない、というアルトの声もミハエルには届かない。 「何勝手に決めてンだよ。つうか、オレのからあげ食って、何が楽しいんだよ」 肩を竦めるアルトに、ミハエルは目を細めて向き合った。 「好きだよ・・・・・」 「・・・・・え?」 電車が、ホームへと滑り込んでくる。轟音と風が、アルトの長い髪を巻き上げた。 「姫のからあげ。旨いんだもん」
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