Very Pink_2

 

 

 

 きゃぁきゃぁ、と教室に響き渡る女生徒達の笑い声に、アルトは漆黒の髪を揺らして振り返った。

 けだるい昼休み。昼食を終えて、午後の授業が始まるまでの短い時間はアルトにとって貴重な睡眠時間だ。だが、とアルトは眉間に皴を寄せる。教室の後方のドア周辺を陣取って、数人の女子がはしゃいでいるのだ。そして、ドアに寄りかかって話題の中心となっているのが、学園イチのモテ男ミハエル・ブランだった。

「・・・・・・ウソツキ・・・・・・・」

 アルトは一瞬ミハエルを睨みつけると、口の中で低く唸りながら机に突っ伏した。

 

◆◆◆◆◆◆

 

 思い出すだけでも、腹の底がざわつく。

 あれは、数週間前の出来事。 S.M.S の広報ビデオを作成するからと、問答無用にオペレーターズの制服を着せられ、拒否権もないまま艦長の制服を纏ったミハエルと共に撮影に駆り出されたのだ。確かにいつ収束するとも知れない戦闘に、 S.M.S が慢性的な人手不足で喘いでいるのは知っていたし、釈然としないまでも辛うじて納得して協力した。そう、アルトの心中を波立たせるのは、捨てたはずの女性の演技と女装を強要されたことではない。撮影終了後の更衣室でミハエルに、まるで撮影に付き合わされた憂さを晴らすように、貞操を奪われたことだ。しかも、あの女好きで女性関係が派手で有名なミハエルが、何を血迷ったのかアルトに告白までして、アルトの純潔を手折ったのだ。

 アルトは、ギュッと胸元を握り締めた。

「何が、本気だ、よ・・・・・・・」

 トロリと滴る蜂蜜のような甘い笑顔を浮かべたミハエルを思い出して、アルトは吐き捨てた。そう、ミハエルは本気だと言いながら、何も変わらなかった。女性へのマメさも変わらなければ、優しい言葉を交わすことさえやめなかった。更に言えば、アルトを好きだと言っておきながら、この数週間全く何もなかったのである。宿舎に帰れば、嫌でも二人っきりの時間があるというのに、手を繋ぐどころか愛を囁くこともない。まるで、更衣室での行為がアルト一人の夢だったかのように、友達という関係を維持し続けてきた。

「夢だったら良かった・・・・・」

 アルトはポツリと呟いた。そう、夢であれば、こんな感情を抱かなくて済んだのだ。ただ空だけに焦がれて、渇望するだけの日々。飛ばないと死んでしまう、という焦燥感を抱える毎日。今思えば、それは何にも変えようのない平穏な時間だった。

 アルトは、ギリギリとネクタイに爪を立てた。こんな自分はいらない。他人に振り回されて、その一挙一動から目が離せないなんてあり得ない。制御できない自分と相変わらずなミハエルに、アルトのイライラは募って行く。あぁ、とアルトは腕の透き間から空を見た。こんな落ち着かない日は、思いっきり空を飛ぼう。教師にどやされるなど知ったことか。高く高く、どこまでも高く。自分という存在がちっぽけである、と感じれば良い。だが、とアルトは体を起こした。呆然と窓の外を眺めて、焦点の合わぬ瞳を見開いた。その琥珀色の瞳に映るは、格子模様の空。そう、ここは果てのある世界。地球を模して、人々の知恵を結晶にした人工の楽園。有限の人の手によって作られた箱庭には、行き止まりがある。だから、とアルトは絶望にも似た感情を吐き出した。このアルトの気持ちも、決して消えてなくなることはないのだ。

 

◆◆◆◆◆◆

 

「アルトくん!」

「遅い!」

 校門の陰からパッと現れたシェリルとランカに、アルトは降参とばかりに両手を上げて見せた。そうしてシェリルの小言に反論する意志がないことを示す。

 アルトはシェリルとランカの私服姿を見て、ようやく彼女たちが仕事の都合で授業を休んだことを思い出した。なるほど、いくらシェリルと言えど私服で構内を歩き回るのは気が引けたらしい。まぁ、とアルトは小さく笑った。美星の生徒である以上、教師に睨まれるのは好ましくない。それは、銀河の妖精と呼ばれるシェリルも同じ。他の生徒と何ら変わらない。

「それで、わざわざ学校まで来て、何の用だよ?」

 昨日のランカの話では、今日はシェリルとタッグを組んでのクイズ大会の収録だったはずだ。その結果を一足早く教えてくれるとでも言うのか。だが、シェリルはニヤリと唇を歪めると、下からアルトを覗き込むようにして目を細めた。

「ねぇ、アルト。玉翠苑って知ってる?」

 急に何を言い出すのだろう、と面食らいながら、記憶のデータベースを検索する。聞き覚えのある名前に眉を顰めていると、背後から砂を蹴る音が近付いてくる。振り返るまでもない、ミハエルだ。しかし、アルトは気付かない振りをしてシェリルの問いかけに答える。

「確か、星間大戦よりも百年近く前に創業を開始した、超老舗旅館だったよな・・・・・・・」

 創業当時から質の良い温泉と接客で、名の知られた温泉旅館だったらしい。もちろん、全てが人の手で造られたフロンティア船団に天然の温泉などない。それでも、玉翠苑が今でも超一流とされるのは、泉質と並んで賞賛された『おもてなし』故。そう、このフロンティア船団に暖簾分けされた玉翠苑は、その『おもてなし』だけで数多の客の心を掴み続けているのである。しかも全室スイートクラスの高級旅館であるにも拘らず、三年先まで予約が取れず、銀河中のセレブを歯噛みさせている。温泉ではないが、総檜や岩風呂の大浴場もあるという話だ。銭湯通いが密かな趣味だったりするアルトとしては、機会があれば行ってみたいと思っている旅館だった。

「アルトにしては、良く知ってるじゃない?」

 シェリルにすら世情に疎い、と思われているらしい。心外だと思う反面、家を飛び出してから空だけを見詰め続けてきた結果なのだ、と苦笑が滲む。

「まぁな・・・・・それで、その玉翠苑がどうしたんだよ?」

 興味があると悟られるのが癪で、アルトはポケットに手を突っ込んでそっけなく返した。

「今日の収録でね、私とシェリルさんね優勝したの!」

 そいつはおめでとう、とアルトはランカに続きを促す。正直、二人が優勝したというのは意外だが、今聞きたいのは玉翠苑との関係である。

「その優勝賞品がね、玉翠苑ペア宿泊券なの!」

 ランカは弾けるような笑顔で、アルトに封筒を差し出した。テレビ局の名前がプリントされている封筒から、アルトは細長いバウチャーを取り出した。そこには、確かに玉翠苑ペア宿泊券の文字と美しい日本庭園が描かれている。アルトは肩を竦めた。要は、自慢だったのだ。

「良いんじゃないか?たまにはゆっくり羽根を伸ばすのも・・・・」

 玉翠苑なら、ファンに囲まれることなく日々の疲れを癒せるだろう。日頃分刻みのスケジュールをこなす二人には、これ以上ないプレゼントだろう。プロデューサーも考えたものだ。アルトは感心しつつ、バウチャーをランカに返却しようと手を差し出した。しかしその手を、ランカは優しく押し留める。

「・・・・・・・ランカ?」

 首を傾げるアルトに、ランカは俯いた。だが、それも一瞬。ガバッと音がする勢いで顔を上げると、意を決した瞳でアルトを見上げ、一気に言い放つ。

「一緒に行こうよ!」

「え・・・・・・・?」

 ランカの言葉の意味が分からず、アルトは目を丸くした。一緒に行こう、とはどういう意味だろう。せっかくシェリルと勝ち取った賞品なのだ、女の子同士仲良く時間も気にせずガールズトークでも楽しんでくれば良いのだ。

「シェリルは、どうなるんだよ?」

 玉翠苑は、シェリルのようなVIPでも簡単に部屋を押さえられないのだ。アルトの言葉に、シェリルは勿体つけるようにハンドバックから封筒を取り出した。そして、中からバウチャーを抜き出すと、アルトの眼前でヒラリと翻す。

「優勝者それぞれに、賞品は一つずつが基本でしょ?」

 ふふん、とシェリルは豊かな胸の下で腕を組んだ。

「玉翠苑に連れて行ってあげる、って言ってるの。こんなサービス、滅多にないンだからね」

 ランカとシェリルは肩を並べてアルトに一歩近付いた。

「ねぇ、アルト」

「アルトくん」

 これは、とアルトはうろたえた。女の子と高級旅館にお泊りデート、というシチュエーション。ジリジリと返事を迫るシェリルとランカに、アルトは真っ赤になって後ずさった。首を縦に振れるわけがない。結婚前の女性と不埒なことなどできるわけないし、何より相手はシェリルとランカである。それに、とアルトの心がズキリと音を立てる。肩越しにミハエルを盗み見た。

 銀河の妖精と超時空シンデレラに迫られるという全銀河中の人間が羨む状況で、アルトは冷や汗を掻いていた。視線を避けることすら許されず、否定の言葉を紡ぐ自由もない。ただ小刻みに撤退を図るのが、精々だ。だがアルトが半歩退けば、シェリルとランカは一歩踏み込んでくる。フワリと風に乗って、少女たちの甘い香りがアルトの鼻腔を擽った。それを避けるように背中を逸らした次の瞬間、アルトの体がグラリと傾いた。視界一杯に、青い格子の空が広がる。

「うわぁぁぁっ・・・・・・!」

 漆黒の長い尻尾が、乱れながら大きな弧を描く。重心を失ったアルトの体は、まるで引き摺り下ろされるようにそのまま後ろへ倒れ込む。

「っ・・・・・・・・!」

 体勢を整えることもできず、アルトは衝撃に備えた。だが・・・・・・。

「っと・・・・・姫ってばツンデレだけかと思ったら、ドジっ子属性もあったんだな」

ガッシリと逞しいミハエルの腕に抱き留められて、後頭部から地面に激突するという事態は回避された。しかし、視界いっぱいに広がっていた青空は、軽口を叩きながらも心配を滲ませるミハエルの顔に塗りかえられる。そのミハエルの表情に胸が掻き毟られるようで、アルトは慌てて体を起こした。