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「早乙女アルトさん、俺とお付き合いしてください」 ガバっと勢い良く腰を折り、その体勢のまま右手を差し出すミハエルに、アルトは緩く首を振った。 放課後裏庭まで来られたし、という手紙が下駄箱に入っていたから、何事かと思って来てみれば…。アルトはシラっとした目でミハエルを見ると、大きく息を吐き出した。 「なぁ、ミシェル。これは何の罰ゲームだ?」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 手荒な入隊歓迎を受けた翌日、アルトはSMSの宿舎を見上げて、目を細めた。 「渡りに船っていうか…」 正直、内心は複雑だ。 パイロットになるんだ!と啖呵を切って家を飛び出したアルトだが、その生活は決して余裕のある物ではなかった。貯金を切り崩しながら、爪に火を灯すような生活。だが、増えることのない貯金は記帳する度にその額を減らし、アルトはジワジワと焦りを覚え始めていた。武士は食わねど高楊枝、と言うが実際は、背に腹は代えられない。それに天女のお役を演じたことはあるが、残念ながらアルトは人間で、霞を食って生きることはできないのだ。何よりアルトが好きなEXギアを使った飛行訓練は、体力勝負。空腹で挑んでは、命に関わる。だからこそ、アルバイトを、という考えが頭を過らなかった訳じゃない。だが、転科組の自分がバイトなどに現を抜かして、勉学を疎かにする訳にもいかない。何より目の上のたんこぶを、未だに打ち負かしていないのだ。 そんな矢先に差し出されたSMSへの入隊。その席は人の無念の上にあるのだ、と重々承知しつつも、アルトに飛び付かないという選択肢はなかった。 「…いつか…」 生まれて初めて、目の前で人が死んで行く様を見て、尻込みしなかったと言えば嘘になる。彼が送られる所を間近に見て、痛い程に拳を握った。そして、いつか仲間の為に重い引き金に指を掛ける日が来ることも、理解している。それでも、果てのない銀河を翔ける夢と日々の糧を得ることができる事実に、どうしたら踵を返せるだろうか。 「よし」 アルトは両の頬を挟むようにパシンと叩くと、宿舎に足を踏み入れた。 「時間通りだな」 宿舎に入るや否や、仁王立ちしていたオズマが低く唸るように言い放つ。その声に、あまり歓迎されていない色を見て、アルトは眦を吊り上げた。仕方のないこと、と割り切ろうとしているが、やはり友の後釜に座るのがアルトのような青二才であることに、感情が追い付いていないようだ。それでもアルトは、ここで怖気付いて帰るつもりはない。 「本日より、お世話になります」 堂々と且つ、礼を尽くして頭を下げる。何事も最初が肝心だ。 「こっちだ」 オズマはアルトの挨拶に小さく頷いて答えると、時間が惜しい、とばかりに歩き出す。アルトは私物の入ったスポーツバッグを肩に掛けて、オズマの広い背中を追い掛けた。
「熱いから気を付けてね」 はいどうぞ、とカップをサーブするボビーに、アルトは僅かに仰け反りつつ頭を下げる。あからさまに警戒するアルトに、ボビーは気分を害するでもなくニヤリと笑った。 「あらぁ、アルトちゃん。そんなに怯えなくても大丈夫よ〜」 毛を逆立てる仔猫でも見るかのような目で、ボビーはアルトの頬に手を伸ばした。指先でサラリと触れて、ふふふ、と笑う。 「今日も調子良さそうね」 悪ふざけの過ぎる同僚に肩を竦め、オズマは柄にもなく助け舟を出した。 「オズマが言うんじゃしょうがないわねぇ。アルトちゃん、また明日ね」 バチン、とウィンクを飛ばして踵を返すボビーに、アルトはブルブルと首を振った。そんなアルトに、オズマはカップを掴んでコーヒーを一口飲んだ。 「今後は自分で何とかできるようになれ。ここでは、誰かに助けて貰おうなんて甘い考えは捨てるんだな」 オズマの言葉に、アルトは膝の上で手を握り締めた。 「…了解…しました…」 オズマは大きく頷くと、カップをテーブルの端に寄せ、ファイルから数枚の書類を取り出した。 「全てに目を通して、最後にサインを」 雇用契約書から始まり、様々な同意書など多々あり、正直全ての書類を一読しようものなら夜になるだろう。アルトはペンを手に取ると、黙々とサインを書くことにした。 最後の一枚を書き上げて、アルトは書類を纏めてオズマへと手渡した。オズマはパラパラと書類を捲り、サインに漏れがないかを確認すると、大きく頷いた。 「よし、漏れはないな」 オズマは書類をファイルに仕舞うと、アルトの前に一冊の薄い冊子を差し出した。 「利用上の注意…」 表紙の文字を読み上げるアルトに、オズマは口を開いた。 「宿舎を使うに当たってのルールブックみたいなヤツだ。外泊届の出し方とか載っているから、一度目を通しておけ」 アルトは素直に頷くと、ペラリ、と表紙を捲った。 「宿舎内の案内は、同室のミシェルに頼んである。もう少ししたら来るだろう」
実際、大佐であるオズマは個室を与えられている。アルトは曖昧に頷いて、冊子に目を落とした。アルトが、目の上のたんこぶ、と敵愾心を?き出しにしている男と同室など、果たして冷静でいられるだろうか。 「ミハエル・ブラン、入ります」 シュン、と空気の抜けるような音と共にブリーフィングルームの扉が開き、ミハエルが姿を見せた。 「あら、ミシェルちゃん。何か飲む?」 お構いなく、とボビーに軽く会釈して、ミハエルはアルトとオズマが座る席へと歩み寄る。そして、ピシリ、と敬礼して見せた。 「遅くなりました」 オズマは立ち上がると、ミハエルの肩をポンと叩く。そのまま去って行くオズマの背中に、ミハエルは再び敬礼する。 「アイ・サー」 無言のまま手を上げて応えるオズマに、ミハエルは敬礼を解くと、着座のまま深々と頭を下げているアルトに向き直った。サラサラ、と涼しげに肩口から溢れる黒絹に、ミハエルは緩く首を振る。そして、サッとアルトの前に手を差し出した。 「それでは、部屋に案内しますよ。お姫様」 怒りに赤く染まった顔を上げて、アルトは力任せにミハエルの手を払った。バチン、と派手に響いた音に、アルトは僅かにたじろぐ。だが、すぐに鼻を鳴らして立ち上がった。 「それじゃ、部屋に向かいますか」 フーフーと嵐を吹く猫を思わせるアルトの態度に、ミハエルは漏れる笑みを抑える術を持たなかった。それが、油に火を注ぐと分かっていても、最早どうにもできなかった。
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