狙撃主×姫 SS

 

 

 「おはよう、アルト」

 慌ててドアを開けると、そこにはミハエルが立っていた。その朝に相応しい爽やかな笑顔に、一瞬勘違いをしてしまいそうになる。

「あぁ、ミシェル・・・・・・おはよう・・・・・」

 アルトは、はにかんで答える。ギュッと拳を握って、そうだ、と再び口を開く

「今日も、早くから突っ立てたのかよ?」

 言葉遣いと呼び方は、アルトの願い通りざっくばらんな物となったが、ミハエルの基本スタンスは、最初の頃から何ら変わりはない。シークレットサービスとその警護対象者。

「いや、今日から学校だから、ある程度時間を読んで迎えに来られたよ」

 でも、とミハエルは悪戯な笑みを閃かせた。

「思いの外、出てくるのが遅かったから心配したよ。目覚まし時計を止めて、二度寝に突入したのかなって」

 ミハエルの鋭い指摘に、アルトは黙り込んだ。あの部屋には、隠しカメラでも仕掛けられているのか。

「さすがに連休明け初日からの遅刻はどうかと思ってさ、もう少しでモーニングコールをするところだったよ」

 耳の先を紅く染めて俯くアルトに、ミハエルは眦を緩めた。その艶やかな黒髪に手を伸ばしそうになって、必死に自制する。その代わり、耳元に唇を寄せて囁いた。

「それとも、明日からはモーニングコールもしようか?お姫様?」

 目を細めて微笑めば、アルトの綺麗な顔が怒りに歪む。キッと眦を吊り上げた、その顔さえ美しい。

「姫って呼ぶな!・・・・というか、それは、シークレットサービスの仕事からは逸脱してるだろう」

 執事かお前は、と口の中で呟いて、アルトはスタスタと歩き出した。どうして、ミハエルはこんなにもアルトの世話を焼きたがるのだろう。それとも、兄弟子から何か特別な口添えがあったのだろうか。あぁきっとそうだ、とアルトはエレベーターの前で頷いた。あの矢三郎のことだ、くどくどとアルトの世間知らず振りを説明したに違いない。

「朝食はラウンジで良いんだよな?」

 どうぞ、と促されて、アルトはそのままエレベーターに乗り込んだ。パタン、と扉が閉まる微かな音に、アルトは思わず天を仰いだ。気を使われることに、慣れてどうする。次こそは、と決意を新たに視線を戻した時、アルトは違和感を覚えた。

「・・・・・どうしてミシェルが、美星学園の制服を着てるんだ?」

 昨日までの見慣れたチャコールグレーのスーツではなく、ミハエルはアルトと同じ格好をしていた。違いと言えば、ネクタイの色と胸に輝くエンブレム。あと、着こなし。昨日までのスーツ姿同様、第一ボタンまできちんと留められたシャツに、きっちりとネクタイを締めている。適当に着崩しているアルトとは、まったく正反対。

「まさか、警護の為だけに学園に潜り込む、とかじゃないよな?」

「映画の見過ぎだよ」

 クスっとミハエルは笑うと、スっとアルトの目の前に手を差し出した。何事か、と首を捻るアルトに、ミハエルは畏まって口を開く。

「改めて自己紹介しようか。俺は美星学園高等部航宙科二年のミハエル・ブラン」

「・・・・・・・・はぁ?」

 ミハエルの言葉の意味が分からずに、アルトは思いっきり眉根を寄せた。怪訝そうな表情で、ミハエルを見やる。しげしげと見詰めて、ポツリと呟く。

「何の冗談だ?」

「冗談じゃないって・・・・・ホラ・・・・・」

 ミハエルは納得しないアルトに、頭を掻きながら学生証を見せた。想像していなかった反応だ。アルトはミハエルの手から学生証を拝借すると、再びミハエルと見比べる。そして、呆然と喘ぐ。

「同い年だって・・・・・ウソだろう?」

 確かに歳は近い、という印象は受けた。だが、自分とは違う、落ち着いた雰囲気と物腰。それに何より、シークレットサービスなどという職業に就いている点から、同い年など想像もしなかった。

「色々事情があってね」

 曖昧に笑うミハエルの顔が、どこか苦しそうで、アルトは話題を変えることにした。そう、誰にだって、触れて欲しくないことの一つや二つはある物なのだ。

「航宙科って、美星の花形だよな・・・・・」

 アルトは、自分とは違うエンブレムを見詰めた。独自のエンブレムをつけることを許されていることから、他の学科と一線を画すことは一目瞭然。有能なパイロットを育成する為のカリキュラムに定評があり、噂によれば、とある航空会社が新人研修用にテキストを欲しがったとか。それに、とアルトは目を輝かせる。EXギアという機器を使用しての、飛行訓練もあるのだ。

「空を飛べるんだろう?」

 どこか遠い目をして、アルトは思いを馳せるように呟いた。その横顔に、ミハエルは言葉を詰まらせる。何てカオをするのだろう。胸を掴まれたような衝撃に、ミハエルは途切れ途切れで言葉を紡ぐ。

「そうだな、眺めは悪くないな・・・・・まぁ、EXギアを自由に操れるまでは、結構骨だけどな」

 機器自体の重量もさることながら、その操作性に慣れるまでが大変なのだ。自分の動きよりも、わずかに反応が遅れることを体で理解し、行動できるようにならなければ、飛行訓練に参加できない。その間に脱落する人間も、少なからずいるのは事実だ。

「でも・・・・自由だよな・・・・」

 重力にすら縛られず、自由に飛翔できる。青い空を見上げるように顔を上げると、エレベーターが一階に着いた。

「ほら、ラウンジに行こうぜ?急がないと遅刻する」

 アルトの言葉の意味が気にならないわけではないが、その身を守るシークレットサービスとしては、彼の登校時間を守るのが、現在の最優先事項だった。

 

 ラウンジに着くと、既に食事を終えたランカがシェリルと朝のお喋りに興じていた。隣のテーブルでは、ルカが猛然とノートパソコンのキーボードを叩きながら、時折ベーグルを齧っている。

「・・・・おはよう・・・・」

 何と声を掛けるべきか迷った末、アルトは無難な挨拶を躊躇いながら発した。アルトの声にいち早く反応したのは、ルカの隣でゆっくりとカップを傾けていたボビーだった。

「おはよう、アルトちゃんにミシェルちゃん。随分とゆっくりねぇ。大丈夫?車出しましょうか?」

「本格的にヤバそうだったらお願いします」

 おにぎりとサンドウィッチという、いざとなれば食べながらでも登校できるメニューを配膳しながら、ミハエルはボビーに頭を下げる。出遅れてしまったアルトは、もう数えることを止めた自責の念に、溜息を吐き出した。

「あぁそうだ、ミシェル先輩。これ、頼まれていた物です」

 ルカはパソコンから顔を上げると、テーブルの上に小さな箱を置いた。ミハエルはサンドウィッチを片手に、黒く細長い箱に手を伸ばす。蓋を開けるミハエルを、アルトはおにぎりに口を付けながら、横目で窺う。

「・・・・・タイピン?」

 箱に収められていたのは、銀色のシンプルなタイピンだった。小さな銀色のスワロフスキーが四つ、まるでクローバーのように並んでいる。アルトは首を傾げながら、おにぎりを咀嚼する。見るからに忙しそうなルカに、ミハエルが買い物を頼むとは思えないのだ。う〜ん、と眉根を寄せるアルトに、ミハエルは小さく笑いながら、そのタイピンを押しやった。

「これは、アルトのだから」

 ミハエルは箱から取り出すと、付けて、とアルトの目の前に置いた。ミハエルの言葉の意味が分からない、とアルトは首を振る。確かにミハエルと違って、かなり制服を着崩しているアルトは、タイピンを付けていない。メゾン・ド・フロンティアの住人らしく、きちんと制服を着ろ、と言いたいのだろうか。しかしだからと言って、わざわざルカに用意させる意味は何だと言うのか。

「昼休みは一緒に居られるとしても、さすがに授業中は守れないからさ。保険だよ」

 そうか、とアルトは手を打った。ミハエルとは学科が違うのだ。アルトは、おにぎりの最後の一欠けらを口に放り込みながら、ふと思う。学生をやりながらシークレットサービスなんて、無理があるのではないだろうか。現に、授業時間中はマルタイと離れてしまえば、任務の遂行なんてできるわけがないのだ。

「まぁ、いざとなればアルトの薙刀が炸裂するから、あんまり心配してないんだけど、うっかり薬嗅がされて誘拐とかされた時の為に、役に立ってくれるかなって」

 ミハエルは、一向に手を伸ばそうとしないアルトに肩を竦めると、その胸元にタイピンを差した。

「このタイピンは、発信機になってるんだよ。携帯のGPSも有効だけど、連れ去られる時に落としたり、犯人に電源を落とされる可能性もゼロじゃないからな。ルカに細工してもらったんだ」

 肌身離さず持ってろよ、とミハエルは冗談めかして笑う。何しろ、ミハエルが自腹を切っているのだ、と。

「・・・・・その・・・・・ありがとう・・・・・」

 さすがプロ、と言うべきか。弱点を知っているからこそ、その対策が取れるのだ。

「まぁ、ランカちゃんが教室にいる時は、ブレラにフォロー頼めるし。それに、白昼堂々学校に押し入ってくるような荒っぽい連中に知り合いはいないだろう?」

 コーヒーカップを傾けながら、ウィンクを飛ばすミハエルに、アルトは息を吐き出した。引越し早々エライ目に遭ったせいで、勘違いをするところだった。そう、アルトにシークレットサービスが付いたのは、ただただ兄弟子の過保護故だ。ミハエルの備えには悪いが、特製のタイピンが真価を発揮するような場面は決して訪れない。大体、自分を誘拐して何の得があるのだろう。どうせなら、とアルトはパソコンに向かうルカを盗み見る。大企業の御曹司にして、最先端の技術を宿した天才少年の方が、よっぽど利用価値がある。

「なぁ、ルカの警護はどうなってるんだ?」

 ボビーのような目立つ人間が学園内にいれば、幾ら世間に疎いアルトだって気付く。そんな噂を耳にしないことから、日中ボビーは付いていないに違いない。そんなアルトの疑問に、事もなげに答えたのはミハエルだった。

「ルカと俺は、同じクラスなんだよ」

「・・・・同じ?」

 思わずアルトは繰り返した。ミハエルと同い年というのも驚いたが、半ズボンを履いて、いかにも中学生然としているルカも同い年なんて、その衝撃はミハエルの時以上だ。驚きを隠せず、半ば呆然としているアルトに、ミハエルは困ったように眼鏡の蔓を押し上げた。自分の言い方がまずかったのかもしれないが、アルトはあからさまに勘違いをしている。

「あ〜、あのなアルト。ルカは飛び級してるんだよ。歳は、俺らの二つ下」

「なんだ・・・」

 さすが、天才少年の看板に偽りはない。

「だから、アタシの出番なんて学校の送り迎えぐらいなの。それも、最近じゃ登校時は意地でも歩きが良いみたいなのよねぇ」

 意味深そうな笑みを浮かべてボビーがシナを作ると、ルカはキーボードを叩く手を止めて、叫んだ。

「っ・・・・・運動の為だって言ってるじゃないですか!せめて登校時くらいは歩かないと!」

 苦しい言い訳だな、と笑うミハエルに、アルトは首を傾げた。頭から湯気が出そうなくらい真っ赤になりながら、ルカは再びキーボードを打ち始める。一体、何が苦しい言い訳なのだろう。アルトの視線に気付いたミハエルは、ウィンクを飛ばしながら小さな声で囁いた。

「ルカにも色々あるのさ」

 ミハエルの口調から、それが喜ばしい色々だと伺えて、アルトは表情を綻ばせた。大人と対等に、時にはそれ以上の仕事をこなす天才も、歳相応の一面も持っているらしい。平静を装って仕事を続けているルカに、アルトは思わず呟いた。

「ルカって可愛いんだな」

 不意に名前を呼ばれたルカは、思わず顔を上げた。そして、同時にボンと音がする勢いで顔を真っ赤に染めた。そう、アルトがルカに向けたその微笑の美しさに、ルカの心臓が大きく撥ねたのだ。たおやかで、どこか聖母を思わせる慈愛に満ちた微笑み。同時に孕んだ艶に、ルカは思わず俯いた。密かに思っている彼女の笑顔を見た時でさえ、こんな風に頭の奥が痺れたりしないのに。ドギマギとしているルカに、ミハエルは困ったように頭を掻いた。これこそが、アルトを天才足らしめる所以。微笑み一つ、視線の動きだけで人を魅了し、虜にしてしまうのだ。それを舞台ではなく、自分のすぐ傍で、しかも自分に向けられた時の威力たるや。あまりの衝撃に手の止まってしまったルカに、ボビーは方を竦めると、カップをソーサーに戻した。カチャン、と食器の触れ合う音に、ルカはハっと我に返った。

「ルカちゃん。そろそろ終わらせないと、歩いて登校するには厳しい時間になちゃうわよ」

 思い出したようにパソコンに向き直るルカに、ボビーは静かにリミットを告げる。その声が聞こえたのか、ランカの背後で直立不動だったブレラが、短くランカに囁いた。

「ランカ、時間だ」

 ブレラの声に、ランカは不満そうに顔を歪めた。もっと、シェリルとお喋りをしていたい。それでも、学生である以上、仕事が入っていない限り極力授業に出席しなければならない。それが、渋い顔をしながらランカの芸能界入りを許してくれた、兄との約束でもあるのだ。

「ごめんなさい、シェリルさん」

 眉根を寄せ、翡翠色の髪をしょんぼりとさせて、ランカは手を合わせた。その後ろで慌ただしく食器を片付け始めたアルトたちに、シェリルは悪戯っぽく目を光らせた。

「へぇ、学校もおもしろそうね。ねぇグレイス・・・・」

「シェリル。貴方、来月からツアー始まるのよ。学校なんて行ける訳ないでしょ?」

 にべもなく却下するグレイスに、でも、とシェリルは食い下がる。

「ホラ、今月いっぱいはオフなんだし・・・・・」

 だめ?と可愛らしく小首を傾げて見せるシェリルに、グレイスは盛大な溜息を吐き出した。そして腰に手を当てると、紅唇を開いた。

「一カ月オフと言っても、ツアーの打ち合わせが入ってるの、忘れたとは言わせないわよ?今日も衣装の最終打ち合わせがあるって、昨夜言っておいたでしょ」

 グレイスのイジワル、と唇を尖らせるシェリルに、アルトは小さく吹き出した。アルトの知る彼女は、鮮烈にして苛烈で堂々とステージをこなす姿だ。もちろん、ホログラムでしか見たことがないが。そんなシェリルも、舞台を降りればこうして年頃の少女らしい一面を見せるのだ。そしてグレイスとの遣り取りは、警護対象者とシークレットサービス、アーティストとそのマネージャーではなく、まるで母娘のそれ。いや、母親と言ったらグレイスに悪いだろうか。

「何ボンヤリしてるんだよ」

 ケチ〜、と唇を尖らせるシェリルに目を細めるアルトに、ミハエルは鞄を差し出した。それを受け取ると同時に、ブレラがランカを急かす。

「ランカ、急げ」

「じゃぁ、シェリルさん。行ってきます」

「行ってらっしゃい、ランカちゃん」

 満面の花が咲いたような笑顔で、シェリルが手を振る。

「ルカ、行くぞ」

「あぁ〜、待ってください〜」

 その笑顔に送り出されるように、アルトたちは慌ただしくラウンジを出て行くのだった。