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恋の作法なんて知らない
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「ここは…」 そう零れた声は、酷く掠れていた。いや、それよりも腰が痛い。もっと言うなら、あらぬ場所も痛い。 「…どこだ…?」 見たこともない天井に、アルトは再び呟いた。刹那、混乱の極みに達したアルトの耳に、自分の物ではない呻き声が落ちる。 「っ…んっ…」 悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。アルトは油の切れたブリキの人形のように、ギリギリとゆっくり首を巡らせる。そして、息を呑んだ。 「ミシェルっ…」 そこには、前髪をセットしていないミハエルが暢気に寝息を立てていた。暑いのか、ブランケットは大きくはだけ、嫌みのように鍛え抜かれた肉体を、これでもか!と晒していた。 「…え?」 何だろう、この言いようのない違和感は。 アルトはミハエルの肌を見て、知らず自分の体を弄った。そして指先に触れる素肌に、グラリと視界が大きく回った。 「どうして…」 ミハエル同様、自分も一糸纏わぬ姿で何をしているのか。いやそもそも、とアルトは頭を抱える。 どうして自分は、ミハエルと同じベッドで眠っていたのか。 思考がグルグルと回るだけで、何も分からない。とりあえず、とアルトは息を吐き出した。ここがどこか確認する為にも、とりあえず起き上がるべきだ。 「うっ…」 起き上がろう、と体に力を入れた刹那、指先まで軋むような痛みが奔った。それは、まるで初めて電源を落としたEXギアを着けて、格納庫を走らされた翌日のよう。更に、普段使わない筋肉を使ったようで、また違う場所も痛む。 「っ…本当に、何なんだよ…」 ミハエルを起こさぬよう口の中で悪態を吐いて、アルトはたっぷりの時間を使って起き上がった。そして、ベッドの下で散らばる二人分の服に、みるみると血の気が引いてく。まるで忙しなく、余裕なく脱ぎ捨てたように落ちた服。下着に至っては、なぜかベッドの端に引っ掛かるように垂れ下がっている。 「何が…」 背中に流れる黒髪が素肌を掠め、アルトは思わず息を呑んだ。普段であれば、特に何も思うことはないのに。肌が、敏感になっているような気がする。その理由も分からず、アルトはサラサラと落ちてくる髪を掻き上げて、小さく呻いた。 「っ…うっ…つぅ…」 どうにかベッドを降りるが、床に足を下ろすだけで痛みが背筋を貫いた。慌てて口を塞ぎ、アルトはゆっくりと振り返る。だが、ミハエルは相変わらず寝息を立てたまま。 「そんなことあるのか?」 人の気配に敏感なミハエルが、これ程アルトが動いているにも関わらず、寝返り一つ打たないで昏々と眠り続けているなど、奇跡にも等しい。同時に、バラバラになった欠片だけ抱えて、途方に暮れている自分をよそに惰眠を貪っているのかと思うと、今すぐに叩き起こしてやりたい衝動に駆られる。だが、とアルトは大きく息を吐き出した。今ミハエルを起こすのは得策ではない、と本能が告げている。そう、一秒でも早くこの場から退避せよ、と。 「っ…ひ…ぃ」 覚悟を決めて立ち上がり、どうにか痛みを堪えた安堵の息を吐き出した瞬間、あらぬ所からドロリと何かが零れて脚を伝い落ちた。それが何か理解できない程、自分は無知ではないつもりだ。なるほど、本能が早く逃げろ、と警鐘を鳴らす筈である。アルトは体が軋むことなど厭わずに服を拾い上げると、組紐が見つからないのも構わず、見知らぬ部屋を飛び出した。
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バジュラとの戦いが激化していくにつれ、その理不尽さや仲間を失う憂さを晴らすかのように、何かにつけて飲み会が増えていく。 今日も今日とて、何かしらの理由を思いついた誰かの発案で、行きつけの娘娘を貸し切ってのどんちゃん騒ぎだ。 「若人よ!遠慮せずガンガン呑めぇぇ?」 ベロンベロンに酔っ払った大人が、半ば空いたアルトとミハエルのグラスに、ドボドボと溢れんばかりに酒を注ぐ。そして、期待に満ちた目を向けて、二人がグラスを手に取るのを、今か今かと待ち侘びている。 「ミハエル・ブラン、いきまーす」 既に立派に出来上がっているミハエルがグラスを取ると、周囲の大人たちが囃し立てる。 「おぉぉ〜、さっすがミシェル、良い呑みっぷりじゃねぇか」 一気に煽り、喉を鳴らして飲み干したミハエルは、そのままテーブルにグラスを叩き付けた。ふぅ、と大きく息を吐き出し、乱暴に濡れた口元を手の甲で拭う。これで満足か、と言わんばかりに見据えるミハエルに、大人たちは手を叩いてその偉業を称えた。 その様子を横目で見ていたアルトは、手元のグラスを睨みつけた。幸いと言うべきか、いやもしかしたら災いなのかもしれない。明日は学校も休みなら、シフトも入っていないのだ。酔い潰れて引っ繰り返っても、誰からも文句を言われない。何より、一番の下っ端である自分が、このまま何もせずに終わって良い訳がない。大きく息を吐き出すと、なみなみと注がれたグラスを握り締めた。 「っ…姫っ…待っ…」 ミハエルが慌てた声を上げているが、アルトは構わずグラスに口を付けた。立ち上るアルコールの匂いに、知らず眉間に皺が寄る。それでも、アルトは一気に傾けた。 「うっ…」 喉を落ちるアルコールの灼けるような感覚に、小さく呻き声を落としながら、アルトはどうにか酒を胃に送り込む。それでも飲み込めなかった分が、唇の端から溢れて形の良い顎へと伝い、タンクトップの胸元を濡らす。 「ぷは…ぁ…」 アルトは息が続かず、ようやっと半分程飲み下した所で、唇からグラスを離した。ふぅ、と息を吐き出せば、そのアルコールの匂いに視界が傾ぐ。だが、とアルトは眦を吊り上げると大きく息を吸い、再びグラスを持ち上げる。 「姫!」 アルトがグラスを傾けるより早く、ミハエルの手がそれを奪った。ばしゃ、とグラスの中でアルコールが波打ち、アルトの手を濡らす。その冷たさに驚きながら、アルトは高い位置で結った黒髪を翻して、ミハエルを睨み付けた。 「ミシェルっ!お前…」 文句を言うより早く、ミハエルはアルトから奪ったグラスを煽り、一気に酒の残りを飲み干した。カン、と硬い音を響かせて再びグラスをテーブルに叩き付けると、目を丸くしている先輩たちにニヤリと唇を歪めた。 「すいません、飲み足りなくて」 アルトの酒を横取りしてしまった、と悪びれなく目を細めるミハエルに、大人は酒瓶を傾けた。 「お…おぉ…そうか、悪かったな」 ドボドボ、と注がれる酒を見詰め、アルトはテーブルの下で強く拳を握り締める。あれは、自分が飲むべき酒だ。それを横から掻っ攫われては、まるで半人前扱いだ。否、実際ミハエルは自分を決して一人前とカウントしない。確かにミハエルに比べれば、自分は入隊したばかりのヒヨッコに違いない。それでも、バルキリーから降りれば同級生なのだ。対等に向かい合うべきである。 「おーい!追加のつまみ来たぞ〜」 酒を注いで回る先輩たちに、同じテーブルのメンバーから声が掛かる。お〜、と間延びした声と共に手を振り返し、彼らはアルトのグラスに更に酒を注ぐ。 「また後でな」 へらり、と笑って踵を返す彼らに、ミハエルは何も返さずただ静かにグラスを傾けるだけ。 「いや…あの、お構いなく…」 どうにか愛想笑いを浮かべて遠回しに迷惑と口にするが、果たして酔っ払いに理解できるだろうか。チラリ、と横を見ればミハエルは相変わらず座った眼をして、先輩たちの背中を見据えている。アルトは大きく息を吐き出すと、改めてグラスを引き寄せた。だが、再びミハエルの手がアルトの手首を掴んだ。
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