Frozen Love Struck

 

 

フラフラと吸い寄せられるようにシエルはベッドへと、辿り着くとそのまま倒れこんだ。
 身体の節々が痛い。
「くっそ、セバスチャンめ・・・・・」
 口をついた恨み言さえ、弱々しく掠れている。
「あぁ、坊ちゃん。こちらにいらしたんですね。あれぐらいで音を上げるなんて、情けないですよ」
 呆れを多分に含んだセバスチャンの声に、シエルは更に苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
「うるさい!」
 枕に顔を埋めて、僕は忙しいんだから遊興など、と口の中で呟く。そんな主人の姿に、セバスチャンは肩を竦めて見せた。
「何度も申し上げておりますが、ダンスは上流階級の紳士の嗜みですよ。いくら坊ちゃんのダンスセンスが壊滅的とは言え、避けて通る訳には行かない事ぐらい、ご理解頂いておりますよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 シエルはモゾリと枕を抱き締めた。できれば理解したくない、との意思表示だ。
 迫りくる社交期を前に、セバスチャンはダンス特訓を毎日のカリキュラムに組み込んだのだった。今シーズンこそ坊ちゃんに壁の華を卒業して頂きます!と家庭教師(ガヴァネス)のマダム達全面協力の下、シエルは連日ダンス三昧の日々を送らされていたのだった。しかし、社交期の半ばを過ぎてもシエルは本邸を離れようとしなかった。数多ある招待状を袖にして、頑なに夜会に行こうとしないのである。
「おかしいですね。これだけ毎日踊っていれば、少しは形になると思っておりましたが・・・・・」
「・・・・・・・・・黙れ」
「あぁ、マダム達の足を踏んだりしなくなっただけでも成長しているんですね」
「セバスチャン!」
 睨み付ける主人に意地の悪い笑みを閃かせて、セバスチャンは大仰に一礼して見せる。
「ただいまアフタヌーンティーのご用意を。お疲れでしょうから、甘い物もご一緒に。本日のおやつはベリーのタルトでございます」
 失礼致します、と下がるセバスチャンを視界の端で確認すると、シエルは再び枕に顔を埋めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・疲れた」
 心地よい倦怠が、眠気を誘う。薄く開けられた窓から、爽やかな風が流れてくる。思わず、シエルは目を閉じた。ウトウトと意識が薄れていく。
 すぅと呼吸が寝息に変わった瞬間、ノックの音がシエルの意識を引き戻した。
「坊ちゃん、お茶は談話室に準備させて頂きました」
 相変わらずベッドに沈み込んだまま、シエルは不機嫌そうに執事を見やる。有能なる我が執事が、理由もなくお茶を自分の元に運ばない訳がない。それでも、眠りを妨げられたイラつきが視線を鋭くする。
「エリザベス様がお見えになりました」
 落ち着いて一礼するセバスチャンの姿に、シエルは跳ね起きた。
「フランシス叔母様もか?」
「いえ、本日はお一人でお見えになっております」
 シエルの口から、安堵のため息が長く漏れた。肩の力を抜いて、そのまま崩れ落ちてしまいそうだ。
「いつもとご様子が違うようでしたので、急がれた方が宜しいかと・・・・・」
 シエルの乱れた髪を整えて、崩れたリボンタイを結びなおす。
「・・・・・様子が違う?」
静かに頷くセバスチャンに、シエルはため息一つ零して談話室へと向かった。

 

◆◆◆◆◆◆

 

 談話室の扉が開く音に、エリザベスは立ち上がった。
「・・・・・・シエルっ・・・・・・・・・・」
「リジー、急に来るなんて。フランシス叔母様はご存知なのか?」
 エリザベスに座るように促して、シエルもソファに腰掛けた。エリザベスはシエルの問いに、力なく首を振った。その妙に大人しい婚約者の姿に、セバスチャンの言葉を思い出す。確かに、これは見慣れているエリザベスとは程遠い。あのシエルのペースを掻き乱す、パワフルさはどこへ行ったのか。
「私、シエルに相談したい事があって・・・・・・。その・・・・・・」
 腹の前で手を組んで俯いてしまう。
「エリザベス様、お話の前にベリーのタルトはいかがですか?長時間の移動で、お疲れでしょう?」
 甘さを抑えたカスタードに旬の苺をふんだんに飾り、その隙間を埋めるようにラズベリーが宝石のように輝いている。真っ赤な苺とラズベリーのアクセントには、ブルーベリー。それに薫り高いダージリンを合わせれば、少しだけエリザベスの顔に赤みが戻ってくる。
「セバスチャン、ありがとう」
 美味しい、と笑うエリザベスにセバスチャンは、もったいないお言葉でございます、と頭を下げた。
「では、坊ちゃん。私はご夕食の準備の為、失礼させて頂きます。ご用の際はお呼びくださいませ」
 下がるセバスチャンに一瞥をくれて、シエルは紅茶を口にした。唇を湿らせると、視線をゆっくりとエリザベスに向けた。
「セバスチャンって、凄いのね。どうして、私がシエルと二人っきりにして欲しいって分かったのかしら?」
 どうにか笑顔を取り戻したエリザベスに、シエルは小さく唇の端を持ち上げると、それで、とエリザベスに話をするように促す。
「・・・・・何から話せば良いのかしら・・・・・・。えっとね、私のいとこにダイアナという娘がいるんだけど・・・・・・」
 そこまで告げて、エリザベスは再び俯いてしまった。唇を噛み締め、膝の上で拳を握り締める。シエルは別の意味でペースを乱される自分に自嘲のため息を落とし、腰を浮かした。そして、エリザベスの傍らに膝をつくと、震えている握り拳をそっと掌で包み込んだ。
「あぁ、こんなに冷たくなっている・・・・・・・」
 思いもよらないシエルの優しさに、エリザベスはビックリして目を見開き、すぐにくしゃりと表情を崩した。
「っ・・・・シエルー!」
 ポロポロと大きな瞳から涙が零れ落ちる。シエルは、ポケットチーフを取り出して、その涙を優しく拭う。
「リジー、何があったか話せるか?」
 エリザベスはコクリと頷くと、途切れながらも必死に言葉を続ける。
「昨日ね・・・・・・ダイアナがっ・・・・行方不明になったって・・・・・お父様がっ・・・・・」
 あのはちきれる様な、元気いっぱいのエリザベスからは想像できない、嗚咽交じりの声。聞く者の心を抉り、シエルでさえ顔を歪めた。
「っ・・・・それでっ・・・・・何か知らないかって・・・・聞かれて・・・・私、・・・・・私、知らないって・・・・・」
 あぁ、とシエルは合点した。エリザベスは、何の力にもなれない自分に心を痛めているのだ。
「しょうがないじゃないか。リジーは知らなかったんだから」
 できるだけ優しい声で、シエルはエリザベスを慰める。しかし、エリザベスはフルフルと首を振った。
「違うの。・・・・・違うのよ、シエル」
 涙で濡れた瞳で、エリザベスは真っ直ぐシエルを見据えた。
「私は、知っていたの」
「・・・・知っていた?」
 コクンと頷いて、エリザベスは訥々と語り始めた。
「ダイアナはね、私よりもお姉さんなんだけど、親しく文通していたの。それでね、最近は身分違いの恋をしているって書いてあったの」
 身分違いの恋。
 貴族の令嬢に、恋をする自由はない。結婚相手を生まれながらに決められ、恋を知る事なく嫁いでゆく。エリザベスのように、許婚と想い人が一致している方が稀なのだ。
 シエルの脳裏に、駆け落ちの文字が浮かぶ。
「お相手は騎士さまで、夜会の帰りに夜盗に襲われた所を助けられたんですって」
 それから秘密の逢瀬を重ねて、二人で示し合わせて同じパーティーでダンスを踊った事もあったらしい。両親に後ろめたい思いを抱えながらも、幸せな日々を過ごしている、と手紙には書かれていた。
「・・・・内緒と言われていたから、お父様にも話せなかったの。でも、シエルどうしよう。ダイアナが何か・・・・・大変な事に巻き込まれていたりしないかしら?私、すごく心配で・・・・」
 エリザベスの瞳に、再びジワリと涙が滲む。
「きっと、その騎士と駆け落ちでもしたんだろう」
「そしたら、私にだけでも打ち明けてくれているのじゃなくて?」
 エリザベスの言葉に、シエルは困ったように天を仰いだ。その時、柔らかなテノールが響く。
「きっと、エリザベス様を苦しませたくなかったのではないでしょうか」
「・・・・セバスチャン」
 お食事の支度が整いました、とセバスチャンは頭を下げる。
「苦しむって・・・・?」
 キョトンと首を傾げるエリザベスに、セバスチャンはチラリとシエルを見やった。助け舟を出したのだからあとは何とかできるでしょう、と言いたげな顔で。シエルは、鼻の頭に皺を寄せて言葉を紡ぐ。
「もしリジーがミス・ダイアナの行き先を知っていても、内緒と言われれば黙っているだろう。そんな苦痛を味わわせたくなかったんじゃないか。だから、リジーにも駆け落ちの事は言わなかった」
「あ・・・・・・・・・」
 ピタリと涙が止まった。
「で、その騎士とやらの名前は?」
「・・・・・名前は書いてなかったの。ただ、二人で行ったパーティーについては書いてあったわ」
 フルフルと揺れる金色の髪に、シエルは無言で頷いた。
「覚えているか?」
「手紙を持ってきているの」
 エリザベスはドレスと揃いのポシェットから、手紙の束を取り出した。シエルは無言で頷くと、セバスチャンに声を掛ける。
「手掛かりになりそうな語句を書き写せ」
「御意」
「・・・・・シエル?」
 不安と期待の入り混じる声で、エリザベスはシエルの真意を問う。シエルは口元を笑みに歪めると、真っ直ぐ言い放った。
「たまには宝探しも悪くないな」

 

◆◆◆◆◆◆

 

 翌日、エリザベスを見送ってシエルたちもロンドンへと出発した。
「珍しいですね、坊ちゃん。どういう風の吹き回しですか?」
 馬車の中で、セバスチャンは薄い笑みを貼り付けている。シエルはセバスチャンの皮肉など、痛痒にしない、と感情のない声で返す。
「ただの気まぐれだ。エリザベスの憂いを取り除いてもいいかと思っただけだ」