Best effort

 

 

 執事の朝は早い。
 と言っても、ファントムハイヴ家執事セバスチャン・ミカエリスは、今日も一睡もしていな。眠らなくても生活に一切の使用がない事、また主も主で、それを良い事に調査や仕事を遠慮なく押し付けてくれるせいである。そう、睡眠なんて無駄な時間はどこにもない。
 セバスチャンは、少しだけ疲労の滲んだため息を吐き出して、燕尾服に袖を通した。襟元に指を滑らせて、ピッと正す。毎日繰り返す、ある種儀式めいた行動。なのに、今日は妙に身体が重い。
「・・・・・・・気のせいですね」
 自分に身体の不調など起こり得ない、と確信を持って否定し、セバスチャンは使用人達に仕事を割り振るべく自室を後にした。

 

◆◆◆◆◆◆

 

 主人に目覚めの紅茶(アーリーモーニングティー)を出し、着替えを手伝い終えたセバスチャンは台車を押しながら廊下を歩いていた。
「何でしょうね、この気だるい感じは・・・・・・」
 肩でも凝っているのか、セバスチャンはゆっくりと首を巡らした。刹那、目の前で巨大な爆発音が響き、セバスチャンは反射的に一歩下がった。同時に、吹っ飛ばされたドアが台車ギリギリの場所を煙と共に掠める。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 変わらない日常にセバスチャンは小さく肩を竦めると、真っ黒になった厨房でやはり真っ黒になったバルドに抑揚のない声で静かに尋ねる。
「今日は寒いので昼食にはシチューでも、と私はお願いした筈ですが。何をどうすれば煮込み料理が爆発するんですか?」
 バルドはアフロヘアーになった頭を掻きながら、う〜ん、と小さく唸った。
「コイツを使って火力を上げれば、さっさと煮えると思ってよ」
 ジャキンと手の中の重火器を自慢げに閃かせるバルドに、セバスチャンは小さくそれでいてハッキリと呆れを滲ませたため息を落とした。
「煮込み料理は、じっくりと煮込めば煮込むほど、美味しくなる物ですよ。それに、火炎放射器は料理道具ではない、と前から言っているでしょう」
「分かっちゃいるンだけどよ・・・・・・」
 苦笑を滲ませて、バルドは人差し指でポリポリと頬を掻いて見せる。セバスチャンは棚から新たな材料を選び出し、作業台の上に置いた。
「では、ここを片付けたら改めてお願いします。いいですか、くれぐれも急がないように。いいですね?」
 しっかりと釘を刺して、セバスチャンは厨房を後にした。ティーセットの片付けも、厨房が復活してからが無難だろう。懐中時計で時間を確認していると、窓の外からミシミシと何かが軋む音が聞こえてきた。そして、次の瞬間フィニの絶叫と生木の裂ける音が響き、ズシンと大地が揺れる。
「・・・・・・フィニ、貴方が全力で木に体当たりしたら折れるのは当然でしょう?」
 窓を開けて、セバスチャンはため息を吐きながら頭を振った。新たな雪を被って白くなった倒木の数が、なぜか日毎に増えていく事実に目眩さえ覚える。
「ごめんなさい、セバスチャンさん。・・・・・ぼく・・・・・ぼく・・・・・・」
「面倒くさがらずに、丁寧に優しく雪下ろしをしてくださいね。いいですか?決して一気に終わらしてしまおう、などと考えてはいけませんよ」
 いたずらを叱られた子犬のようにシュンとするフィニに、セバスチャンは幼子に言い聞かせるようにゆっくり言うと、音を立てて窓を閉じた。
「どうして、毎日毎日同じ失敗が繰り返せるんでしょうね」
 本当に不思議ですよ、と思わず漏れるため息もそのままに吐き出した時、遠くから女性の悲鳴が聞こえてきた。
「あぁ、お次はメイリンですか・・・・・・」
 ヤレヤレとセバスチャンは、思わず天を仰いだ。
「本当、皆さん毎日飽きもせず・・・・・・」
 カツカツとセバスチャンの足音が廊下に響く。急ぎながらも、決して走ったりしない。優雅な身のこなしも、ファントムハイヴ家執事の嗜みである。
「メイリン、どうしました?・・・・っ!」
 リネン室の扉を開けた瞬間、冷水が凄まじい勢いでセバスチャンを襲った。
「蛇口が、蛇口が壊れてしまいましただ〜〜〜〜」
 ペタンと床に座り込んで、メイリンはパニックに陥っていた。取れた蛇口を、お手玉でもするようにワタワタと投げている。
「突然取れたりはしないでしょう?」
 呆れながら、セバスチャンは濡れた前髪を掻き上げた。濡れ鼠と化したセバスチャンに対して、驚くべき事にイリンは濡れていなかった。それは、最早奇跡と言っても過言ではない。そんな彼女にセバスチャンは、感服の念すら覚える。
「・・・・・・・・・・・水も滴る良い男・・・・・」
 ぽぉっと頬を染めるメイリンに、一瞬セバスチャンは奇異な物を見るような視線を向けた。
「貴方は何を言っているんですか?まったく・・・・・・・失礼」
 メイリンの手から蛇口を取り上げると、セバスチャンは濡れるも構わず、噴き出す水道に蛇口を捩じ込んだ。
「と、止まっただ・・・・・」
「さ、これで問題ありませんね。後片付けはお願いします」
 滴る雫を手の甲で拭って、セバスチャンはリネン室を後にした。
「あぁ、こんなに濡れてしまって。着替えなくてはなりませんね」
 こんな寒い日に水など浴びたら、普通であれば風邪を引いてしまうのだろう。セバスチャンが自室へと踵を返した瞬間、バタバタと走り寄る複数の足音が聞こえてきた。ゆっくりと振り返ると、泣きべそを浮かべたフィニとアフロヘアーを揺らすバルドの姿。そして、リネン室から転がり出てくるメイリン。
「セバスチャンさぁぁん」
 セバスチャンは思わず眉間に手を当てた。目眩がするのは気のせいだろうか。
「どうしました?皆さん」
 にっこりと満面の笑みを閃かすと、使用人たちがフリーズした。マジでぶち切れる五秒前、とバルドが名付けた恐怖の微笑み。
「ふぃ、フィニが先に報告するだよ」
「バルドさんのが深刻そうですから、お先にどうぞ」
「メイリンから先に言えよ」
 背中を押し合う使用人たちに、セバスチャンは更に艶やかな笑みを閃かせた。
「どなたからでも構いません・・・・・・よ」
 バルド達が震え上がった瞬間、セバスチャンの体が揺れた。
「あぁぁっ!セバスチャンさぁぁぁん!」