Beautiful world

 

 ミハエルはパイロットスーツに着替えると、大きく息を吐き出した。睡眠は十分に取れたし、目の調子も万全だ。だが、ガランとしたロッカールームに、ミハエルは言いようのない孤独を覚えた。


「あぁ・・・そうか・・・」


 出撃前、そこには必ずアルトの姿があった。鮮やかな紅い組み紐で気を引き締めるように、艶やかな黒髪を結い直す凛とした背中。無茶をするな、とことあるごとに咎めながら、必ず守ると誓った。


「・・・・それが・・・」


 ゴン、とミハエルは自らの額をロッカーに打ち付けた。作戦前に、ナーバスになるのは厳禁だ。だが、どうしても止まらない。守ると誓った背中が、虚空に消えた瞬間の衝撃と喪失感が蘇り、ミハエルは足元がガラガラと崩れ落ちるような錯覚に囚われる。刹那、


「初めてデートに行く女子か、貴様はぁ!まったく、たかだかパイロットスーツに着替えるだけで、何時間掛ける気だ!」


 ノックもなく扉が開け放たれたかと思うと同時に、聞き慣れた声がロッカールームに響き渡った。


「っ・・・・クラン!」


 仁王立ちの幼なじみの姿に、ミハエルは呆然とするしかなかった。ここは、男性用のロッカールームだ。ミハエルの他に着替えている人間がいなかったから良いものの、下手をすればチカンならぬ痴女として警察の御厄介になる所である。


「格納庫にミシェルの姿がなかったから、迎えに来てやったのだ」


 ロッカールームに、ミハエル以外の人間がいないことぐらい、確認済みだ。フン、と偏平な胸を逸らすクランに、ミハエルは肩を竦めた。


「俺の迎えより、自分の準備はどうなんだよ」


 ミハエルはパイロットスーツに着替えるだけで、戦闘準備は完了するが、クランはゼントラ化する必要がある。そして、今の彼女はマイクローンのまま。年上とは思えない立派な幼女姿で、ミハエルの反撃を軽くいなす。


「今、装置をネネとクラミアが使っていてな。それに、私はお前と違って着替えを素早く済ませるなど、造作もないのだ」


 そうですか、と気のない返事をしながら歩き出すミハエルに、クランはすかさず肩を並べた。そしてチラリと、お伽話の王子様のようなミハエルの横顔を、盗み見る。


「何より、着替える時に余計な感傷を覚えることもないしな」
「・・・クラン・・・」


 突き放したような物言いにショックを受けるより、簡単に自分の葛藤を見透かされたことに、ミハエルは目を見開いた。その驚愕の表情を浮かべるミハエルに、クランは肩を竦めた。


「今日みたいな本格的な作戦は、あの大戦以来初めてだ。お前が何を考え、何を思うのか、私に分らないとでも思っていたのか?」


 何年幼馴染みをやってると思っている、とクランは唇の端を吊り上げて、ミハエルを見上げた。そう、とクランは小さく自嘲を滲ませる。八年前、ミハエルが誰を見ていたか、それは一番近くで一番長く見つめてきた自分だから分かる。クランでは、ミハエルの夜遊びを止めることはできなかった。だが、とクランは痛む胸を強く掴む。あの美しい少年は、易々とミハエルを救って見せた。誰も信用しなかったミハエルの心を開かせ、そして人を愛する喜びすら抱かせた。

 

「・・・敵わんなぁ・・・・」


 その行方が知れなくなっても、未だミハエルの心を捕らえ続けているのだ。そう、容姿が美しいばかりで、これ程他人を魅了し続けられるだろうか。否、とクランは緩く首を振る。


「何か言ったか?」


 不意に表情を掻き消したクランに、ミハエルは不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「何も言っておらん!」


 幼馴染み、としか認識していないのだろう、ミハエルの顔が近い。突然のドアップに、クランは慌てて顔を背けた。うっかり真っ赤になった顔を、見られる訳にはいかないのだ。変な所が鈍感で、余計なことに聡いミハエル。必死に隠し通してきた想いを、ここで悟られるのは意地でも避けたい。


「ナーバスになるな、と言った所で無理な注文になるのは分かってる。それでも、切り替えるのがプロと言うものだ」


 クランは熱くなる頬を黙らせるように、軍人としての当然の心構えを、改めて口にしてみせた。額に向けられたクランの人差し指に、ミハエルは静かに微笑んだ。眉根を寄せて、困ったように。


「ご忠告、感謝するよ」


 そう、自分はプロだ。あの頃のように、学生がアルバイトしているのではない。SMSの正社員として、相応の支払いを受けて任務をこなさねばならない。だいたい、とミハエルは脇に抱えたヘルメットを叩いた。


「ヘタを打って、部下にみっともない姿を見せる訳にもいかないし」


 あの時と違って、ミハエルには何人もの部下がいるのだ。すぐ傍で戦闘を見学させることはないが、今回の戦闘ログを教材に使う可能性もある。いや、勤勉な部下諸君なら、ミハエルが指示を出す前に確認するだろう。


「あぁ、そうだぞ。隊長とは、常に堂々としていねばならない」


 ピクシー小隊の隊長として、長年隊を率いてきたクランの金言に、ミハエルは大きく頷いた。常に堂々と、どんなピンチでも笑い飛ばして、隊の士気を維持し続ける。それが隊長と言うもの、とミハエルはクランはもちろん、オズマの背中からも学んできた。


「堂々と・・・・」


ミハエルはクランの言葉を繰り返すと、大きく息を吐き出した。そして、疼く感傷に蓋をする。久々に、オズマやルカと任務に就くのだ。無様な姿は見せられない。それに、いつか再びアルトと出会った時、一度でも情けない戦歴があっては、きっと幻滅されるだろう。何しろアルトは、あの時神がかり的な戦闘を見せたのだ。その横に並び立つには、ナーバスになっていたなど、口が裂けても言えない。ミハエルは、顔を上げた。その表情に、憂いはない。


「ホント、世話の焼ける奴め・・・」


 クランは満足そうに微笑むと、ミハエルの背中に思いっきり張り手を入れた。


「痛ってぇ!」


「私も戦闘準備を整えてくる。お前は、さっさと格納庫でオズマから有難い訓示でも受けていろ!」


 何をする、という文句さえ封じるように、クランは畳みかけるように言い放つと、そのままミハエルの横をすり抜けるように歩みを早くする。


「・・・何だったんだよ・・・」


 小さくなっていく背中に、ミハエルは大きく息を吐き出しながら肩を竦めた。まるで嵐のようだった、とミハエルは呟いた。


「嵐、か・・・」


 ミハエルは、自らの呟きを反芻した。そう、クランの登場と言葉で、澱のように溜まっていた感情が、綺麗さっぱり吹き飛んでいたのだ。嵐とは、言い得て妙かもしれない。


「とりあえず、隊長に怒鳴られる覚悟くらいしておくかな」


 ミハエルは自嘲を唇に乗せると、靴音を響かせて格納庫へと向かうのだった。